あの人への手紙

あの人への手紙

XV走行 森の中

●SUBARU XV
車両本体価格:¥2,678,400(税込、2.0i-S EyeSight、AWD)
総排気量:1,995cc 
最高出力:113kW(154ps)/6,000rpm
最大トルク:196Nm(20.0kgm)/4,000rpm

謹啓 エンツォ・フェラーリ様

アヘッド エンツォ・フェラーリ

▶︎エンツォ・アンゼルモ・フェラーリ
1898〜1988年。イタリアの自動車メーカー、フェラーリの創設者。アルファロメオのテストドライバーを経て、レーシングドライバーとしてワークス入りし、1929年に仲間とともに共同出資によりスクーデリア・フェラーリを設立。アルファロメオのセミワークスとして活動を始める。

長男ディーノの誕生を機にマネジメントに専念する。戦後、フェラーリは自動車製造会社として再出発した。公の場にほとんど姿を見せなくなった晩年もイタリアでは「北の教皇」と呼ばれるほど絶大な影響力を持ち続けた。


日本では蝉の合唱があちこちで響き渡り、F1グランプリはシーズンの折り返し地点を過ぎ、あなたが一生涯こだわり続けたフェラーリF1チームは、今年は復調して久しぶりにチャンピオンを獲りそうな勢いです。盛夏、ですね。

早いもので、あなたが天に召されて、この8月14日で29年。毎年この頃になると、あなたを想うことが多くなります。今年はあなたが興したフェラーリ社が創立70周年を迎え、各国での催しが例年以上に賑やかだから、なおさらです。とっくに御承知でしょうけど、フェラーリ製のスポーツカーも、フェラーリのモータースポーツでの戦いぶりも、相変わらず世界中のファン達を熱狂させています。

考えるまでもなく、全てあなたが成し遂げたことです。あなた亡き後のフェラーリも、その延長上にあるようなもの。ひとりのレーシング・ドライバーがレーシング・チームを作り、戦後の復興期にそれを基盤としたスポーツカー・メーカーへと発展させ、レースの分野でも市販スポーツカーの分野でも事実上のトップ・オブ・トップへと登り詰め、世界で知らぬ者のない存在へと育て上げた。

そんなことができたのは、あなただけです。自動車業界にありながら、イタリア国内では〝北の教皇〟と呼ばれるほどの影響力を持ち、亡くなったときに国全体が喪に服したのも、あなただけでした。

あなたは御健在だったときから数々の伝説を生み出して、自動車業界でもレース界でも偉人と呼ばれていました。僕は若かった頃、あなたについて書かれた書物をずいぶんたくさん読みました。クルマ好きとしても自動車雑誌の編集者としても興味深く感じた成功譚やエピソードが山ほどありましたが、意外だったのは、多くの著者のあなた自身を形容する言葉でした。

強引、苛烈、冷酷、冷徹、尊大、自己中心的─。そこから受けた印象は、申し上げるまでもないでしょう。けれど、若さは馬鹿さで、しばらくはそれを真に受けたままでしたが、あるとき、ふと考えちゃったのです。失礼ながら、そんな嫌な人の元にたくさんの人が集まるものだろうか? 成功を手助けするものだろうか? と。その疑問が、12年前に僕をイタリアへと渡らせたのでした。

あなたが暮らしたモデナや仕事場のあったマラネロの街で、僕はあなたをよく知る人達を訪ねました。あなたの秘書だった方々、あなたの会社の財務担当だった方、あなたの作るクルマに速さを与えたエンジニアや美しいフォルムをもたらしたデザイナー、あなたのチームのメカニック、あなたがよく立ち寄ったお店の御主人、毎日のように祈りを捧げにいっていた教会の神父様─。

あなたと親交のあった皆さんが異口同音におっしゃっていたのは、あなたは確かに物凄く厳しい人で、それ以上に御自身に対して厳しくて、信念がとても強く、負けるのが嫌いで、だけどよく笑う人で、周囲の人にはとても温かく、人知れず細やかな気配りをして、本当に優しい人だった、というようなことでした。

アヘッド フェラーリ

皆さん、本当に色々なことを話してくださいました。24歳で夭逝してしまったあなたの長男、アルフレッドさんの愛称〝ディーノ〟を冠した小さく美しいスポーツカーに、〝フェラーリ〟のバッジをつけなかった本当の理由。事故に散ってしまったあなたのチームのドライバーの御家族に、匿名で長年お金を送り続けていたこと。

フェラーリのミニカーを買ってもらえずに泣いていた見ず知らずの子供にそれを買い与え、「大きくなったらこれの本物が買えるように頑張るんだぞ」と笑いながら慰めて、名乗りもせずに立ち去ったこと─。数々の書物に記されていたのとは全く別の人のようでした。

その疑問を解いてくださったのは、あなたの右腕だったフランコ・ゴッツィさんの言葉です。「フェラーリは常に強くなければならなかったし、大きくなっていかなければならなかったんだ。そういう会社を牽引するには、どういう人物が相応しいと思う? 彼はね、〝もうひとりのエンツォ・フェラーリ〟を自分自身で創り出して、完璧に演じきったんだよ」

そういえば今年は、あなたにとっての遺作のような存在であり、フェラーリ史上最も凶暴で最も愛されている、F40の生誕30年の年でもあるのでしたね。その新車発表の催しのときの、古い写真を見つけました。一緒に写っているあなたの次男のピエロさんは、今、同い年くらいだったときのあなたの生き写しのようです。

ピエロさんにお会いしたことはないのですが、あなたと親しかった方々は、あなたがアルフレッドさんに対してもピエロさんに対しても、愛情はたっぷりあるくせに父親としては大変に不器用だった、とクチを揃えていました。スポーツカーの歴史を変えた偉人にも想いのままにできないことがあったのですね。

とりとめのないことばかり連ねましたが、そう、きっと僕はあなたに憧れてるのでしょうね。知ろうとすればするほど信念を最後まで曲げずに貫き通したことが判って、そういうあなたに尊敬の念を抱き、同じ男としてそういう生き方をしたいと願ってるのでしょうね。あなたのような偉業を自分が成せるとは思ってもいないけど、せめて心に秘めた想いの火を消すようなことをせず、これから先の人生を歩いて行くことにします。

全てのクルマ好きに大いなる夢と希望を、そして僕自身には色々と考える機会をたくさん与えてくださって、ありがとうございました。心から感謝を申し上げます。

敬白

(左)向かって左はエンツォ(右から2番目)の長男、“ディーノ”ことアルフレッド。幼い頃から筋ジストロフィーを煩い、1956年に24歳の若さで亡くなった。
(右)1987年に発表したばかりのF40の模型を手にエンツォと語らうのは、次男のピエロ・ラルディ・フェラーリ。現在もフェラーリの副会長を務めている。

アヘッド フェラーリ F40

■フェラーリ F40
1987年にフェラーリ創業40周年を記念して製作されたF40は、「そのままレースに出られる市販車」を具現化したリアミドシップ、後輪駆動の2シータースポーツカー。市販車で最高速度320㎞/hを超えたのはF40が初めてだと言われている。当時89歳だったエンツォ・フェラーリが、その生涯最後に自身で発表した遺作としても有名。バブル経済真っ只中の日本では、新車価格の5倍以上の2億5,000万円で取引されたこともあったという。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

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