埋もれちゃいけない名車たち vol.61 イタリア国民の小さな巨人「2代目・FIAT 500」

アヘッド FIAT 500

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第1特集の〝手紙〟にちなんだクルマを思いつく前に、第2特集のキーワードの中にある〝60〟という数字が目に飛び込んできてしまった。なぜならば、この2017年、生誕60周年を迎えたクルマがいくつかあって、そのひとつは歴史的に見ても本当に偉大といえるクルマだからだ。姿カタチは小さいのだけど。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.177 2017年8月号]
Chapter
vol.61 イタリア国民の小さな巨人「2代目・FIAT 500」

vol.61 イタリア国民の小さな巨人「2代目・FIAT 500」

1957年の7月4日にデビューした、チンクエチェントこと2代目フィアット500。正式名称〝NUOVA500(ヌォーヴァ・チンクエチェント=新500)〟である。

3代目といえる2007年デビューの現行版チンクエチェントにとってのデザイン的にも精神的にも重要なモチーフとなった、そのやたらと小さくて丸っこくて愛らしいクルマは、ルパン三世の愛車として作中でところ狭しと走り回ったこともあって、クルマにそう明るいわけでもない人達にとってもお馴染みだろう。

誰もがニンマリさせられてしまう愛嬌あるスタイリングはそれだけで大きな価値だし、充分に名車と呼べるだけの存在感はあると思う。

が、この2代目チンクエチェントが名車中の名車である理由は、それだけじゃない。このクルマがイタリアの人達にとっての本当の意味での国民車であった、ということなのだ。

たかだか全長3m足らず、全幅にいたっては1.3m少々。デビュー当初の479ccエンジンは15‌psにも満たず、瞬間最高速度ですら100㎞/hにも及ばない。そんなちっぽけなクルマがどうしてそんな底力を発揮できたのか。答えは明白だ。

まずは4人乗りであったこと。そして徹底的にシンプルな作りにして、とにかく安価で売られたこと。

1950年代のイタリアには天の上にあるかのようなクルマも存在したし、第2次大戦前からのクルマや新開発のクルマもあったけれど、普通に暮らしている普通の人達にとってはいずれも高嶺の花。彼らのアシはスクーターだった。

そうした人達のために、フィアットはもっと便利な〝自動車〟という乗り物を、何とか手の届く価格帯で提供しようと考えたのだ。初期の頃は、そのためにスクーターを高額で下取りするというような販売方法すら行われた。

そして2代目チンクエチェントは、売れた。1977年の生産中止までに400万台が送り出された。イタリアの〝普通の人〟達はこのクルマから、想いのままどこにでも走っていける自由、クルマを操る面白さ、家族全員が一緒に移動できる楽しさ、クルマというパーソナルな空間の中で愛し合う幸せ、といった様々な幸福をプレゼントされたのである。

2代目チンクエチェントが存在しなければ、イタリアのモータリゼーションのかたちは全く違ったものになったことだろう。〝小さな巨人〟という表現があるけれど、それはこのクルマのための言葉なのだ。

2代目・FIAT 500

ヌォーヴァ500こと2代目フィアット500がデビューしたのは1957年。1936年発表の初代500が2人乗りで時代に合わなくなっていたことを受け、上級車種600の縮小版として計画された。

設計とデザインはフィアットの技師だったダンテ・ジアコーサ。自身作の600同様RRレイアウトを採ることで車内スペースを可能な限り広げ、3m×1.3mの小さな車体を狭いながらも4人乗りとした。エンジンは簡素で低コストな空冷2気筒。

その騒音を逃がすためにキャンバストップを備えるなど、パッケージングは天才的。シンプルではあったが、安かろう悪かろうではなかったのだ。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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