忘れられないこの1台 vol.65 KAWASAKI GPZ900R

アヘッド  KAWASAKI GPZ900R

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1986年、映画『トップガン』が流行った時代。映画の主人公トム・クルーズが乗る黒赤のGPZ900Rニンジャに憧れた人は多いと思う。僕はまだ小学生でバイクには縁が無く、兄が乗る400㏄ニンジャしか知らなかった。

text:佐野新世 [aheadアーカイブス vol.143 2014年10月号]
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vol.65 KAWASAKI GPZ900R

vol.65 KAWASAKI GPZ900R

▶︎1984年に水冷エンジン搭載のスポーツツアラーとして発売され、最高速250km/hと圧倒的な速さを誇った。当時はメーカー自主規制によって逆輸入車でしか900Rは手に入らなかった。2003年にすべての生産が終了している。


17歳で中型免許を手に入れた頃、テレビに映ったカッコいいバイクに夢中になった。それがトップガンの再放送の900Rニンジャだった。このバイクに絶対乗るぞと心に決め、ひとまず限定解除を目標にした。

19歳で無事に限定解除した僕は唯一知っていたバイク屋へと向かった。しかし、そこはスズキのディーラー。店長の一押しは最高の性能を誇るアルミフレーム水冷GSX-R1100。それでも僕は900R以外は考えられなくて、店長のお勧めを押しのけ'95年型、A7逆輸入仕様の黒金の新車を手に入れた。

毎週末、夜の保土ヶ谷PAに仲間と集合し、首都高や峠に走りに行った。交友関係は瞬く間に広がり、走行会にも誘われ菅生でサーキットデビュー。そこで人生初のハイサイドを経験した。

スローモーションで10秒ぐらい飛んでいた気分だったが、恐怖を覚えるどころかアクセルを全開に出来る楽しみを覚えてしまったのだ。そして、'97年、筑波サーキットで行なわれていた草レース『テイストオブフリーランス』(現・テイストオブ筑波)に参戦。僕のレース人生はここから始まっている。

今はフルノーマルの900Rを多く見かけるようになったが、改造が当たり前だった当時は、自分でデザインした四角いマフラー、ワンオフの片持ちスイングアーム、そしてリムオンディスクブレーキを装着するなど、カスタムの魅力に取り憑かれていた時期でもあった。
遠出も沢山したが、一番の思い出は『21世紀突入 元旦北海道ツーリング』だろう。2001年になる年末年始を最北端の宗谷岬で過ごそうと仲間と計画し、各自バイクで北上しながら現地集合を目指した。

雪に備え、スタッドレス風に仕上げた自作タイヤ、ハンドルカバーなどを付けて、フェリーで苫小牧港へ。現地は異常な大雪で、下船時にいきなりアイスバーンで滑って転ぶという大波乱。

何度も転倒したし、凍結した急坂が登れずに困ったけど、地元の軽トラに助けられつつ何とか目的地に辿り着いた。夜にはマイナス20度を体感し、朝方にはキャブレターにお湯を注いでエンジン始動したのも良い思い出。

このバイクで冒険的な遊びを覚えたことで、不確定要素があることへの挑戦が楽しくなり、2年後にはオフロードバイクでパリダカールラリーに参戦することになる。このバイクが僕の原点。人生を変えた1台だ。

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text:佐野新世/Shinyo Sano
1976年東京生まれのライダー&ドライバーでフリーライター。全日本、全仏スーパーモタードに参戦経験があり映画やメーカーのスタントも行なう。様々なジャンルの2輪レースを経て、現在は4輪レースをメインに活動中。今年はニュルブルクリンク4時間耐久に参戦したばかり。
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