私の永遠の1台 VOL.28 トヨタ マークII(3代目)

アヘッド 私の永遠の1台 VOL.28 トヨタ マークII(3代目)

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高校卒業間際の1986年3月に免許をとってしばらくは、家にあった3代目トヨタ・マークⅡが「自分の」クルマだった。親が知人から譲り受けたものだった。'79年式の2ドアで、2ℓ直6エンジンを搭載していた。ボディ色はゴールドである。

text:世良耕太 [aheadアーカイブス vol.188 2018年7月号]
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VOL.28 トヨタ マークII (3代目)

VOL.28 トヨタ マークII (3代目)

当時でも珍しい派手な色だったが、ちっとも恥ずかしくなかった。マークⅡは'80年の4代目から四角くなっていくが、流麗な3代目のボディとゴールドのカラーはよく似合っていた(と、今までも思っている)。

大学3年の頃には「譲ってやる」ということになり、贅沢にも完全に自分のクルマになった。その頃マークⅡは6代目に移行しており、ハイソカーとしての佇まいに磨きをかけていた。そんな最新モデルと並ぶとさすがに古くささは否めなかった。でもやはり、ちっとも気にならなかった。好きになったが最後である。

3代目マークⅡは'78年のマイナーチェンジで前後に大型のバンパーを装着するようになった。これが格好いい、と個人的には思っていた。菅平で合宿した際は、やけに長いトランクからスパイクを取り出し、仲間と一緒にバンパーに腰掛けて履き替えたものだ。いい思い出である。バンパーに腰掛けられるクルマなど、とっくになくなってしまった。

ゴールドのマークⅡには70年代に設計された日本車を教わった気がする。セミトレーリングアーム式リアサスペンションのクルマを日常の足として使うことができたのは、今にして思えば得がたい経験である。

リアサスだけのせいではないだろうが、とにかく曲がろうとしないクルマだった。100㎞/hに達するとフロントが浮いて、途端にハンドルが効かなくなった。そもそも速度警報のチャイムがわずらわしくて仕方なかった。3速ATの変速ショックは文字通り「ショック」だった。

フェンダーミラーからドアミラーへの変更は改悪だと思えるのは、マークⅡでの経験があるからだ。オートライトなんかなかった当時は、ヘッドライトを消し忘れていると「点いてますよ」と教えてくれる親切な人がいた。あるときファミレスの駐車場に入れてクルマを止めると近づいてくる人がいて、「錆びてますよ」と教えてくれた。大きなお世話である。

駐車場に乗り上げる際にあごが上がり、バンパー下のボディがボロボロに錆びているのが丸見えになったのである。70年代のクルマは10年も経てば、錆のひとつやふたつはあった(はずである)。

箱根ターンパイクを走ったら霧が出てきた。と思ったのは勘違いで、長いボンネットから煙が吹き出していた。新車と入れ替える日に、初めてバッテリー上がりを経験した。クルマは生き物だと思った。

トヨタ マークII(3代目)

マークⅡは、クラウンとコロナの中間に位置する新型車として、1968年に発売された。基本11車種、52タイプものバリエーションを設け、発売年の12月には、月間登録2万台のベストセラーを記録した。'76年にフルモデルチェンジされた3代目は、クラウンに迫る大きさのボディに、丸型2灯式ヘッドライトと独立したフロントグリルが特徴。セミクラシックな雰囲気となっている。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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