SPECIAL ISSUE エンジンという個性

アヘッド エンジンの個性

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時代はハイブリッドやEVに大きく舵を切ろうとしているが、それでもまだ、エンジンがクルマの個性をつかさどる大きな要素であることは間違いない。クルマのステアリングを握るとき、クルマを買おうとするとき、そのクルマがどんなエンジンを積んでいるのか。もう一度、エンジンに心を向けてみると、きっとまたクルマが好きになるはず。エンジンはそのクルマの個性なのだから。

text:今尾直樹、世良耕太、石井昌道、嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.185 2018年4月号]
Chapter
3気筒ブームの先駆者は日本だった
テンロクが神話になったころ
飽くなき挑戦の代名詞

3気筒ブームの先駆者は日本だった

text:今尾直樹


わがニッポンはおそらく世界で最も3気筒エンジンをつくっている国である。昨年の国内の自動車販売台数はおよそ500万台。そのうち軽自動車が200万台を占め、その軽自動車のほとんどが660cc3気筒である。

年間200万台近くも3気筒エンジンをせっせとつくり、国内で消費している国はこの地球上でニッポンだけであろう。販売されたクルマの5分の2、ということは4割以上が3気筒ということである。3気筒はニッポンのスタンダードであり、自覚のあるなしは別にして、ニッポン人は3気筒ラブの国民である、といっても言い過ぎではない。

そもそもニッポン人は3という数字が好きである。昭和33年に竣工した東京タワーの高さが333メートルでなかったら、東京タワーは東京タワーとして、たとえば『三丁目の夕日』に出てくるように、あるいはリリー・フランキーのベストセラー『東京タワー』に描かれたように、かくも愛されているだろうか。東京スカイツリーがいまもどこかよそよそしく感じられるのは、634メートルとされるその高さにあるのではあるまいか。

そういえば、なぜ西岸良平のマンガ『三丁目の夕日』は『四丁目』ではないのか。東京タワーの竣工と同じ昭和33年に入団した長嶋茂雄の背番号がもしも4だったら、彼はこれほどまでに愛されただろうか。サード、長嶋、背番号3、という響きにニッポン人は酔いしれた。その前に4番という打順が入ったけれど、それは雑音として聞き流された(たぶん)。

山口百恵と桜田淳子と森 昌子は花の中三トリオ、岡田奈々と木之内みどりはかわいかったなー、関係ないけど。キャンディーズはもちろん女子3人組で、アイドル新ご三家といえば郷ひろみと西城秀樹と野口五郎……たとえが古すぎる? 現代のAKB48だって3の倍数ではありませんか。

乃木坂と欅坂が46なのはAKBへの対抗としてつくられたがゆえの計算違いみたいなもの、と解釈できないこともない。というのはこじつけに過ぎるとしても、3という数字には固有の魔力があることは間違いない。


プジョー・シトロエンやルノー、BMW、VW、ボルボ、極東の島国からは撤退してしまったけれど、フォードやオペル等、海外のメーカーも続々と3気筒エンジンをラインアップに加える今日この頃。2気筒より1気筒多いことで振動と騒音の面で優れていて、4気筒より1気筒少ないことで軽量、コンパクトにまとまり、燃費を含めたエコの面で優れている。3気筒とはそういうエンジンである。

ごく単純に申し上げて、排気量1リッターの家があったとして、これを爆破するのに、1回でドカンとやるのが一番シンプルで豪快だけど、自分がその隣に住んでいることを考えると、ドカンと揺れすぎる。2回に分ければその半分に、4回に分けたらさらにその半分の4分の1になるわけで、ずいぶん静かになる。だけど、4回に分けて爆破していると手間も暇もかかる。

小型車にとって手間暇=コストであるから、あいだをとって3回にしましょう、という妥協の産物、美しく表現すれば、いいとこどりが3気筒である。

筆者の記憶によれば、近代3気筒エンジンの嚆矢は1976年に発売されたダイハツ・シャレードに遡る。第一次オイルショックの頃に構想されたシャレードは、必要最低限の装備で快適性と経済性を両立させようとした、合理的で知的な小型車だった。

思い出すなぁ、大学1年のとき、免許取り立てで、アダチくんの家のシャレード、あれは丸型のウィンドウがリアに設けられた3ドアだったけれど、運転させてもらったことを。たぶんマニュアルだったと思うけれど、田舎の田園地帯を走っていて、やみくもにフル加速してコーナーに突っ込み、怖くなってアクセルを離したらタックインでリアが流れた。

本能的にカウンターを当てて、なぜか知らねど興奮していてアクセルをたまたま踏んでいた。だから田んぼに落っこちないで、そのまま走り続けることができた。助手席のアダチくんは恐怖で目を丸くしていた。私は平静を装っていたけれど、内心ドキドキだった。

ダイハツがそれまで2気筒だった自社の軽自動車を3気筒に格上げしたのは1985年発売の2代目ミラからである。2代目ミラはそれまでの軽自動車の基準を書き換えた傑作だった。排気量550ccにして、NVHを小型車並みに抑え込み、快適性のレベルをそれまでより数段もひき上げることに成功した。660ccになったこんにちの軽も、そのレベルの延長線上にある、と筆者は思う。

このクルマの新車に当時できたばかりの東関道で試乗したときは心の底から驚嘆した。スズキがこれに対抗するには、'88年発売の3代目アルトまで待たねばならなかった。2気筒の軽を知る者にとって、2代目ミラはプラス1気筒以上の上質感を得た感があった。おかげで、リッターカー、シャレードの存在が薄れるほどだった。


海外勢の3気筒は、筆者の知る限りにおいてはいずれも素晴らしいできばえである。とはいえ、正直申し上げて、欠損感を抱いてしまうことは否めない。1リッター以上の小型車は4気筒が主流だったのだから当然だろう。あらかじめ失われた1気筒が心の空白をつくりだし、シリンダーがグルグル回っている……。

そんな図像が浮かぶ。気のせいであることはわかっている。バランサーシャフトを使ったりして、その振動特性は4気筒との違いが感知できないほどに仕立てられているのだから。

それでも、こう思う。乗用車用3気筒の場合、味わいどころはエンジンの充実ではなくて、欠けていることにある、と。1気筒軽いゆえの鼻先の軽さを利したハンドリングをこそ楽しむべきなのだ。

4気筒より機械損失が少ない分、燃費もいい。ないことによって生まれる新しい価値、「ないからいい」という、やや大げさにいえば文明のありかたを受け入れる。真に豊かな21世紀的生活というのは、そういうものになるのかもしれない。

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text:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。

テンロクが神話になったころ

text:石井昌道


その昔、スポーツモデルに搭載されるエンジンは1.6ℓがポピュラーだった。1970年代のトヨタ・セリカ1600GT、三菱ランサー1600GSRなど、ホットモデルは1.6ℓ搭載を車名に誇らしげに冠していたりもする。モータースポーツで1.6ℓクラスが盛り上がっていたことなどがもてはやされた背景にはあるようだ。

自分がクルマに乗るようになった1990年前後でも1.6ℓ搭載車は〝テンロク〟などと呼ばれて親しまれていた。同じ車種でもスタンダードなモデルは1.5ℓで、スポーツモデルは1.6ℓということも多かった。税金に差があるものの+0.1ℓでパフォーマンスには大きな違いがあることも、テンロクを特別な存在にしていたように思う。

振り返ってみると、心に残るテンロクは少なくない。自分で最初に購入したクルの初代ロードスター(NA6CE)もあたりまえのように1.6ℓだった。パワーは120PSでビギナー・ドライバーにとっても決して速いとは思えなかったが、ライトウエイトなボディには十分。公道で楽しんだり、無駄なく走らせるトレーニングにはちょうどよかった。

ロードスターは後に1.8ℓ化。速くはなっているものの、楽しさは逆に薄れてしまっていた。メーカーもそれはわかっていたようで、エンジン改良やファイナルギア変更など手を施し、2代目のフルモデルチェンジ時には1.6ℓを復活させたほどだ。

テンロクから排気量アップして印象が変わってしまったもっと極端な例がプジョー205GTI。初期の1.6ℓは鋭い吹き上がりにしびれたものだが、1.9ℓ化されてからは乗りやすいもののなんだかマイルドになってしまって残念だった。

テンロクのレベルを引き上げていったのがホンダだ。今でも同社のエンジン技術の代名詞といえるVTECを引っさげて、リッターあたり100PSの壁を超えていった。インテグラやCR-X、シビックなどが搭載したテンロクVTECは突き抜けるように高回転まで回り、とてつもないパフォーマンスを誇った。

個人的にはEG6、EK4、EK9などのシビックがもっとも強烈に印象に残っている。EK4のワンメイクレース仕様に乗っていたこともあるが、サーキットの練習走行でレース仕様のGTーRを抜いてしまうことさえあった。あの頃のシビックは本当に凄まじく、ホンダのエンジン技術は世界一だと確信していた。

VTECに触発されて、三菱はやはりMIVECを開発してミラージュなどに搭載。トヨタもAE86の頃から使い続けていた名機、4AGを5バルブ化させるなど、ライバルも続々とリッターあたり100PSオーバーを実現して戦争状態になった。

1990年代半ばから後半にかけてが、テンロクがもっとも熱く、激しかったピーク。もう少し本格的でハイパフォーマンスな2.0ℓターボなどのスポーツカーも多かったが、テンロクは独自の魅力と地位を築いていたのだ。高回転までブン回してパワーを引き出す走りを楽しむのに理想的な排気量がテンロクだったのだろう。

その後、日本のスポーツカー市場が衰退したこと、燃費が重要なファクターとなったことなどからテンロクはじょじょに姿を消していくことになる。燃費だけではなく乗用車としての扱いやすさからいっても低回転域のトルクを充実させることが重要。

あの頃のように回転でパワーを稼いだリッター100PS超えのNAエンジンなどは、もう生まれる余地がないだろう。テンロクは古き佳き時代の甘酸っぱい思い出として心にとめておくしかないのかもしれない。

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text:石井昌道/Masamichi Ishii
自動車専門誌編集部員を経てモータージャーナリストへ。国産車、輸入車、それぞれをメインとする雑誌の編集に携わってきたため知識は幅広く、現在もジャンルを問わない執筆活動を展開。また、ワンメイク・レース等への参戦経験も豊富。エコドライブの研究にも熱心で、エコドライブを広く普及させるための活動にも力を注いでいる。

飽くなき挑戦の代名詞

text:世良耕太


レシプロエンジンにはない独特のフィーリングが味わえるから、という理由だけで、ロータリーエンジンが支持を集めているわけではないと思う。「飽くなき挑戦」の言葉に集約される、困難に立ち向かってはそれを乗り越えてきたマツダの姿勢への共感が上乗せされ、思いが増すのだ。

ロータリーエンジンを実用化していなければ、初代CX-5に始まった第6世代商品群のヒットも、ディーゼルエンジンの復権も、夢の燃焼と言われたHCCIの実用化に向けた開発もなかったに違いない。ロータリーエンジンはその原点である。

燃料が燃えることによって発生する熱エネルギーを、機械エネルギーに効率良く変換するのが内燃機関の本質だ。レシプロエンジンはピストンの往復運動を回転運動に変換する必要がある。一方、軸を中心に回転することを意味する「ロータリー」エンジンは、繭型のハウジング内でおむすび型のローターが回転しながら吸気~圧縮~膨張~排気の4つのサイクルを繰り返すので、往復運動を回転運動に変換する必要がない。

だから、往復運動にともなう振動とは無縁で、回転はスムーズだ。「まるでモーターのよう」と形容されるスムーズな回転フィールが、ロータリーエンジンの真骨頂である。ビート感あふれる独特のサウンドも魅力だ。

エンジンがコンパクトなのもロータリーエンジンの特徴である。2ローターなら、2つのローターハウジングを3つのサイドハウジングが挟む格好になる。ハウジング1個は分冊マガジン程度の大きさなので、2ローター・ロータリーエンジンのサイズは、分冊マガジン5冊分程度でしかない。つまり非常にコンパクト。エンジンルームを覗き込んで初めてそのサイズを確認した人は、あまりの小ささに衝撃を受けるはずだ。

ロータリーはエンジンがコンパクトなので、パッケージ面で有利に働く。レシプロエンジンよりも、前車軸の後方、すなわちフロントミッドシップにレイアウトしやすい。車両運動性能の向上に寄与するのも、ロータリーエンジンの大きな魅力である。このエンジンを初めて積んだコスモスポーツにせよ歴代RX-7にせよRX-8にせよ、コンパクトなエンジンを前提にした、前衛的かつクレバーなパッケージングがなされている。

ロータリーエンジンを採用すればいいことがたくさんありそうなのに、開発を続けているのは世界広しといえどもマツダただ1社だけだ。従来のエンジンにように往復運動を回転運動に変換する必要がなく、始めから回転しているロータリーは「夢のエンジン」ともてはやされた。レシプロエンジンに不可欠なカムシャフトも、傘型の吸排気バルブも不要だ。
自動車メーカーとして後発だったマツダ(当時の社名は東洋工業)は生き残りを図るため、ロータリーエンジンの将来性に懸けた。'61年にパテントを購入し、'67年に実用化にこぎつけた。この実用化までの6年間が「飽くなき挑戦」だった。生き残るためにも、途中で投げ出すわけにいかなかったのだ。スカイアクティブテクノロジーをものにした近年のマツダとダブる。

GMもメルセデス・ベンツもトヨタも日産もロータリーエンジンの研究に着手したが、実用化には至らなかった。複雑なシールの耐久性確保が、高いハードルのひとつだった。ハードルが高すぎて、マツダの競争相手になるメーカーは現れなかった。70年代半ばには、追随する素振りを見せるメーカーすらなくなった。

そうした状況で、マツダは積極的に開発を続けた。ピークは'91年のル・マン24時間だろう。4ローターのR26Bを搭載したマツダ787Bは、日本車として初めて伝統のレースを制した(挑戦は後を絶たないが、いまだに日本車で唯一の勝利である)。飽くなき挑戦の成果を、性能と信頼性の面で証明した瞬間だった。

ロータリーエンジンは構造上シール性を高めにくいのに加え、燃焼効率を向上させにくい。主にこの2点の理由から排ガスと燃費の観点で生き残るのが難しくなった。'12年6月にRX-8が生産中止になって以来、市販されていない。

だが、開発は連綿と続けられている。「飽くなき挑戦」はまだ続いているのだ。ロータリーエンジンは新しい技術に挑戦するマツダの姿勢を象徴する存在であり、この世に存在するだけで元気が出る。だから、なくしてはならないし、なくなってほしくない。
▶︎上がロータリーエンジン(回転運動)。下がレシプロエンジン(ピストン運動)。ロータリーエンジンは、三角形のおむすび型ローターとそれを覆うハウジングで構成されている。おむすび型のローターは、偏心軸の作用により直接ローターを回転させ、そのローターの回転によって、さらに偏心軸が回転する。ローターが回転する過程で、作動室が移動しながら、吸気、圧縮、点火・膨張、排気の4行程を行う。
①ケンメリGT-R
②SUBARU360
③アルファロメオスパイダー
④フェラーリ512BBi&コスモスポーツ
⑤ジャガーEタイプ
⑥フェアレディZ 432
⑦ポルシェ356

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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