SPECIAL ISSUE クルマとバイクの世代論

アヘッド SPECIAL ISSUE クルマとバイクの世代論

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「クルマ」や「バイク」と一言で言うが、世代によってその捉え方はまったく異なる。品格ある絶対的存在としてクルマがあった時代、自らの成功を証しするものとしてクルマやバイクに憧れを抱いた世代、そしてクルマやバイクが単にひとつのツールとなった世代。世代によってクルマ観はさまざま。それでも、とにかく私たちの人生はこれからもクルマやバイクと共にあるのだ。

text:若林葉子、今尾直樹、山下 剛、山田弘樹 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.184 2018年3月号]
Chapter
対談・真ん中の世代に思うこと
自動車人の生きた時代
バイク乗りはなぜハマショーを聴くのか
僕にとっての最後の恋人

対談・真ん中の世代に思うこと

プロト総研 宗平光弘 VS ahead 神尾 成

クルマ情報誌「グー」や、クルマポータルサイト「グーネット」を運営するプロトコーポレーションの常務である宗平光弘氏と、前編集長の神尾は、クルマやバイクと共に成長してきた世代だという。その「真ん中」とも呼べる世代のこれからについて2人は語り合った。
ー前々号の特集内の記事、「リッターバイクの先にある125㏄」(※QRコード)は大変、反響が大きかったのですが、宗平さんも「あの記事にはやられた」っておっしゃっていましたよね?

宗平:はい。あの中で語られていたのは、今僕が考えていることそのものでした。

ー今バイクの世界を支えている中心は50代中盤を迎えている。そこには年齢的な悩みがあるわけです。それに真正面から向き合ったことが読者の共感を得たのではないかと思います。二輪専門誌ではなかなか触れ難いことですから。

宗平:おっしゃる通りだと思いますね。僕もクルマよりも先にバイクに乗った世代ですから。

ーあの記事を書いた前編集長の神尾は1964年生まれの53歳、宗平さんは1967年生まれで今年51歳になる。ほぼ同世代ですね。

宗平:はい。僕らの若い頃はクルマやバイクが有ることが前提でした。週末は洗車! ピクニック的なノリで彼女と洗車してました。

神尾:当時の女の子は、付き合っている人の乗っているクルマにもっと興味を持っていましたよね。彼にはソアラに乗ってほしいとか、私はビーエムがいいとか言ってましたから。また、六本木や某大学の前なんかは、クルマによって序列があったと聞きました。お店の入り口や正門に近いほど高級なクルマが停まっていると。

宗平:そうですそうです。僕が通った神戸の大学では、有名な会社の息子がテスタサロッサを停めていて、負けたくないけど絶対、逆立ちしても無理。それで探したのがフルオープン、ハーフメタルトップのジムニーだったんですよ。全部、幌を取っ払ってテスタロッサの後ろにピタッと停めると、こっちの方が目立つ。アイデアの勝利だ、みたいなね。

神尾:当時、女の子は自分のパートナーが乗っているクルマによって、自分のヒエラルキーが上がって行くことを知っていたんです。クルマはその象徴というかクラスを分ける要素が大きかったですから。今はイイクルマに乗っていてもモテる訳じゃない。よく言えば本質主義の時代になったのではないでしょうか。

宗平:僕は最近、今の若い人たちの方がすごいなと思うことがあるんです。例えばスポーツの世界。日本の国としての環境が整ったというのもあるかもしれませんが、グローバルで目立つ人、活躍する人が多いですよね。

ファッションだって同じで、僕らの頃はアルマーニのジーンズを3万円で買って、みんなブーツの中に裾を入れてアルマーニを目立たせていた。アルマーニの傘の下に入って生きるというか、それで安心していた。

でも今の人はそうではなくて、ジャンルはあるにせよ、もっと自由です。しかもお金に頼るのではなくて、千円二千円の洋服でもそれをオシャレに着こなしている。音楽だってそうです。「このバンドのこの曲を聴かなきゃ」っていうのはなくて、ストリーミングで自分の音楽を楽しんでいる。「自分ブランド」の中で自分の価値観をクリエイトしている、そう感じますね。

神尾:だからクルマだけの魅力を語っても、彼らには希薄に感じるのかもしれません。また彼らはクルマやバイクも、洋服や携帯のように、あくまでも物のひとつとしてフラットに捉えています。クルマの価値が下がったというより、変わったんです。

宗平:変わりましたねぇ。

神尾:僕は時々散歩がてら秋葉原へ行くんですよ。国際色が豊かでいろんな国の人がいるし、そこに来ている日本人の世代も幅広い。そして場所柄、痛車もよく見かけます。

その痛車が最近は進化しているように見えるんです。以前はボディやウインドウにキャラクターをラッピングしてあるだけでしたけど、今はエアロやホイールまでコーディネートして、物語の一部のシーンを再現するなど、メッセージ性が強まっている。

次の段階に入ったなと。それを携帯で撮っている人たちは、若い女の子や外国の人も含めて痛車をひとつの作品として見ているように思います。シンパシーを感じて自分のセンスにヒットすると、その作者を自然とリスペクトしてるんですよ。

問題は、自分たちのような旧来のクルマ好きが痛車を否定的に見ていることで、それが自分たち自身をどんどん孤立させている。自覚がないまま、頑固ジジイになっているんです。

宗平:いやぁその通りだと思います。クルマはこの先、どんどん「ひとつのアイテム」になっていきます。メディアは例えば「レクサスすごいぜ」っていうのを発信して、ブランド価値を伝えるのも役割ですけど、それが若い人への押し付けになるんじゃなくて、彼らがひとつのアイテムとしてクルマをチョイスするときのツールにならなくてはいけない。

洋服買うときだって、店員がへばりついて勧められたら嫌じゃないですか。そうじゃなくて、「ここには全て揃っていますよ。どうぞ自由に手にとって見てください」 そんな世界観を発信側が作っていけば、若い人は来やすくなると思いますね。

ーお二人とも若い人たちの価値観を認めながらも、実は自分自身では、若い頃に培った普遍的な価値との間で迷っていらっしゃる、そんな印象も受けます。

神尾:そもそもいつの時代も40代や50代は新しい価値観と古い価値観の狭間にいると思うんです。だから今の50代は昔憧れたバイクに乗ってみたり、新しいクルマを買ったりする。

ただ変化したのは、今の若い世代も同じことをしているという点です。インターネットのせいか、彼らはいきなり50年前のハーレーに乗っちゃったり、洋服感覚で旧いクルマを買ったりする。そういうのは以前はなかった。僕らは旧い新しいで悩むけど、彼らにはそういう意識がない。ノンヒエラルキーでボーダーレスなんです。

宗平:だから僕も発信側としては全てのマトリックスを提示したいと頑張っているんです。そこに境界線を作りたくない。

ーでもバイク雑誌やクルマ雑誌はそこを分けたがりますよね。

神尾:これまではそれでよかったからです。今はまだ音楽が、邦楽と洋楽だけに切り分けられていた時代と同じなんですよ。JーPOPという言葉が生まれてきたように、誰かがタイトルを付ければ、今後はもっと細分化していくし、時代に合った変化をするでしょう。

だから宗平さんが悩まれている旧いメルセデスに乗り続けるか、新しいクルマを買うべきかも、少し先の未来から見れば普通のことで、本当はどちらでもいいんです。

宗平:そうです。どっちでもいいんです。どっちも楽しいんです。

W124か、993か

メルセデス・ベンツ W124・E500(1985〜1995)

宗平:僕はねこのW124にするか、ポルシェ(993)にするか最後の最後まで二者択一で迷いました。いまでも993は欲しいんですよ。どっちのクルマも、今のクルマとはプロダクツとしてやっぱり全然違うんです。メルセデスもポルシェもこの時代までは身の詰まり方っていうかね、鉄の塊感だったりソリッド感だったり。腕時計もただ時間を知るだけじゃなくて、持つ喜びがあるわけで、それと同じような感覚があるんです。

神尾:その中でW124で行くか、993にするかはその人のそれまでの生き方や、想い描く理想のスタイルで決まるものでしょう。道具としてではなく、趣味で選ぶクルマは、性能の面も含めてファッションなんです。根本的には洋服や時計と同じで、どういう自分でありたいかが選択する基準になる。ポルシェはスポーティで若々しく、W124はもう少しジェントルで大人っぽい。

宗平:昔のゼッツー。あれをピカピカにして乗ってる人は洋服+もう少し何かを求めてる人。僕が乗ってたFX。あれはもう少しイケイケかな。もっとも当時はなんでも乗ってみたいという感覚だったので、今とは違いますけど。

神尾:クラシックハーレーを買う人より、Zやカタナに乗る人の方が、もう少しファッションだけではない哲学めいたものを求めていると思いますね。クルマでいうとそれが993かな。W124の方が少しハーレーに近いかもしれません。宗平さんの立ち位置としては、自分はそこまでコアじゃなくて、ハマりきらない状態でいたいからメルセデスだったのでは?

宗平:あー、痛いところ突かれますねぇ。最後、どうしてW124に決めたかというと、例えばポルシェで友人の結婚式に行ったりすると、「調子に乗って」って思われたりね。メルセデスだとそこまで目立たないんです。でもホテルのフロントでもカッコはつくし、絵にもなる。

神尾:ちょっと旧いメルセデスに乗ってるっていうのは、洒落者ですよね。適度に冷めてる感じもある。だけどW124は名車だと分かる人には分かる、そういうクルマですから。

宗平:あーー、また痛いところ突かれてる。僕は結局、究極の照れ屋なんです。女の子を目の前にすると口説けないタイプ。だから行きたいんだけど、993に行けないんですよ。993に行ける人が羨ましくもある。
神尾:思うんですけど、クルマやバイク以外でも物を選ぶのに何かと理由をつけたがるのが60年代生まれで、70年代以降生まれの人たちは、そこまで悩んでないんじゃないかなって。免許を取った時には名車が出揃っていた世代だし、ネットの普及もあって、もう少し楽にチョイスしているように見えるんです。うちの若林(1971年生まれ)にしても「買っちゃえばいいじゃん」と、葛藤がない。

宗平:分かるわかる、分かります。みんなぼんぼん行っちゃいますね。僕、今、告白しますけど、これまで旧いクルマも新しいクルマも含めてナビが付いているクルマに乗ったことがないんですよ。

神尾:そういうこだわりがあるのはよく分かります。それが自分の貫いて来たスタイルですから。若林が言うところの〝ぐじぐじ〟してる世代なんですよ。それに名車が出てくるのと同じ歩みで自分たちは成長して来ている。だから当時の中古車価格を知っているのでプレミアム価格についての抵抗感が強い。

でも買うものにストーリーがなければ嫌だし、大人として余裕がないとダメだし、現役感もほしい、とワガママだからどんどん選択肢が狭まっていく。

宗平:でも僕は最新のクルマも好きですよ。XC60も欲しいし、でもX3の方がハード的には優秀だしな、でもここにW124あるしな、っていつも悩んでる。ユーザーの気持ちとまったく同じ。だから、僕は常にサイトを見ることができて、いろんな検索機能を考えることができるんだとも思っています。

神尾:旧いのを買うか新しいものを愛するか、いつも悩んでる。でも〝ぐじぐじ〟しているからいつまでも好きでいられる。その時間こそが趣味なんです。
ポルシェ911 Type 993(1993〜1997)

これからのメディア

神尾:宗平さんは、「クルマは今でも時代を象徴するプロダクツに違いなく、昔のクラフトマンシップと呼ばれたものが現在ではAIやIoTなどの先進テクノロジーに変化しているだけで、作り手側の情熱やロマンは同等以上に感じる」とおっしゃっていますよね。

宗平:はい。メーカーの試乗会やイベントに呼んでいただいて、じかに技術者や開発者の方とお話をし、その苦労話とか開発のドラマを聞いていると、「すごいな、この人たち」っていつも思います。昔は馬力戦争でそっちが250馬力なら、こっちは280馬力、っていう分かりやすいものだったけど、今はもう少し別のところでメーカーは迷いつつも切磋琢磨していると感じますね。

神尾:現代の方がユーザーの求めるものが多様化しているので、何かと大変でしょうね。

宗平:はい。だから、技術者の方が習得する技術も試行錯誤も昔以上なんだと思うんです。

神尾:一般的には「今はクラフトマンシップがなくなった」と言われるけど、今の技術者の方が莫大な情報や複雑なシステムの中で、見えない敵と戦っているのかもしれません。AIやIoTも現代のクラフトマンシップなんだと認めないと新しいクルマの存在価値が見えてこない。否定ではなく、受け入れて行くことの大切さ。これが自分たち50代の課題でしょうね。

宗平:僕は持ち上げるわけじゃないですけどaheadにはそれが詰まっていると思いますよ。それに僕は共鳴しているんです。

神尾:冒頭の話に戻りますが、バイクは現役で乗り続けるのが当然というスタンスだと、もう大半の人は息が続かなくなって来てるわけですよ。そうじゃない方法をどうしたら見つけられるのか、自分たちはそのヒントを探さないといけない。僕は、繊細で微妙な心の動きをリアルに表現することが次のステージへ繋がっていくと信じているんです。

宗平:僕は姫路の片田舎で生まれて、神戸の大学を出て。若い頃に読んだクルマ雑誌は「神」だったんです。そこに全然違うルートから来て、今、「グーネット」や「プロト総研」という形で参加させてもらっている。すごく幸せだと思っています。寝食忘れて好きだったクルマやバイクの世界で仕事をするなんてあり得ない。だから何か返さなきゃって思いが強いんです。

神尾:社会に還元していく年代だし、そういう気持ちがないと生まれてこないものがありますね。

宗平:僕は本当は使命感を持ってW124に乗ってるところがあるんです。あれやめちゃったらダメというか、あれがあるから言えることがある、みたいなね。

神尾:「自分に課すものがあるからそこにいられる」それは発信していく側の人間にとって必要なことかもしれません。

Mitsuhiro Munehira 1967年生まれ。姫路市出身。クルマ情報誌「グー」、クルマ・ポータルサイト「グーネット」を運営する株式会社プロトコーポレーション常務取締役。ITソリューション部門担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員。「PROTO総研/カーライフ」の所長を務める。(「PROTO総研」は、「グーネット」で長年に渡り蓄積してきた自動車に関する膨大なデータを、社会・生活者が必要とする話題にわかりやすく再編集・発信している。)

Sei Kamio 1964年生まれ。横浜市出身。新聞社のプレスライダー、大型バイク用品店の開発、アフターバイクパーツの企画開発、カスタムバイクのセットアップ等に携わり、2010年3月号から2017年1月号に渡りahead編集長を務めた。現在もプランナーとしてaheadと関わっている。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。

自動車人の生きた時代

ここでは、「日本の自動車評論界の手塚治虫」小林彰太郎さんについて書いてみたい。

手塚治虫なくして戦後ニッポンのマンガ文化、クール・ジャパンの象徴であるジャパニメーションはなかったように、小林彰太郎なくして日本の自動車評論というものはなかったし、こんにちの日本の自動車産業の隆盛もなかった、と筆者は思う。

幸運にも筆者は、小林さんがいらした出版社で1984年から働き始め15年ほど、そこに在籍していた。『カーグラフィック』、小林さん流にいうと『CG(シージー)』編集部ではなかったけれど、ごくたまに小林さんに自動車に関するご意見をうかがいに行ったりして、ご尊顔を拝した。

いつも背筋がピンと伸びていて、小林さんのまわりだけ空気が違っていた。よくいわれることだけれど、本当にそうだった。たとえガイジンだろうと、直立不動にさせてしまう、神聖不可侵の雰囲気があった。自動車エンスージアズムの神様だった。

神様はでも、エレガントで紳士的だった。「ま、おかけなさい」といってイスを勧め、若干緊張でたどたどしくなっているこちらの日本語を黙って聞いて、じっと考え、ユーモアを交えた答をいつももらって帰った。たとえば、外車の魅力とは? というアンケートで、小林さんはこう言われたのではなかったか。

「外国の考え方や習慣、文化を比較的手軽に学ぶことができる。ぜひ一度お乗りなさい。外国の女性とつきあうことを考えたら、費用も精神的にも何分の一かですむ」

う~む。ちょっと違うような気もする。ずいぶん昔のことなので、だいたいそんな感じ、ということでお許しいただきたい。

後日、小林さんから内線で連絡があって(たぶん。iモードもネットもラインもない時代である)、先日の答はよくなかったから訂正したい、とおっしゃった。比喩が軽薄すぎると反省されたらしい。

でも、訂正しちゃうとつまらないから、黙ってそのまま掲載した。いや、小林さんがわざわざそうおっしゃったのだから、と修正したような気もする。う~む……、どっちだったんだろう。

小林さんは1929年11月12日生まれ。私の父はその2年前の'27年生まれだから、まさに父親の世代にあたる。漫画の神様、手塚治虫は'89年に還暦で亡くなってしまったけれど、誕生日は'28年11月3日で、小林さんと手塚治虫は同世代だったのだ!

そうか、そうだったのである。マヌケなことにいま気がついた。ともに敗戦を15~16歳で迎え、手塚治虫は軍国少年ではなかったと記憶するけれど、でも、たぶんおふたりとも同年輩、もしくは自分よりもちょっと上の年長者たちのあまたの死を見聞し、ときに自分の目でも見、自らの死をも覚悟しただろう。そして、戦後の自由な雰囲気のなか、道なき道のパイオニアとなった。
『CG』の創刊は1962年、小林さんが32歳のときだった。その小林さんに憧れた多くの青年たちのなかに若き日の徳大寺有恒さんもいた。徳大寺有恒こと杉江博愛は1939年11月14日生まれで、小林さんよりちょうど10歳若かった。敗戦時は5歳だったから、まだ幼かった。水戸に疎開していたけれど、空襲の記憶を語っておられたことを筆者はぼんやりと覚えている。

『モーターマガジン』に寄稿していた頃からの小林彰太郎ファンで、暗唱するぐらい読み込んでいた。小林さんと徳大寺さんの大きな違いは、小林さんがオースチン・セヴンやライレー・ブルックランズ、ランチア・ラムダなど、戦前のクルマを深く愛したのに対して、徳大寺さんはそこまで古いクルマには関心がなかった。

小林さんがみずから修理もこなすイギリス的自動車趣味の実践者だったのに対して、徳大寺さんは、イギリス好きではあったけれど、もっと大衆に近かった。だからこそ戦後のベストセラーを生み出し得た。

小林さんは2013年に、徳大寺さんは翌'14年にみまかられた。ひとつの時代が終わった、としみじみ感じた。内燃機関を搭載する自動車が大きく進歩し、日本がほとんどゼロから自動車大国へと成長していく時代をおふたりは生きられた。

ハイブリッドのトヨタ・プリウスの発売が1997年である。あれからおよそ20年。自動車はなにか楽しい方向に進んだだろうか?

「ハンドリングなんかどうだっていいんだ!」そう逆説的に言っておられた徳大寺さんの言葉が全自動運転技術によって現実になりつつあるいま、小林さんの世代、徳大寺さんの世代の方々の知識と経験を大切にしながら、自動車によってもたらされる、生き生きとした楽しさ、面白さについて再考することは大いに意味のあることのように思われる。

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text:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。

バイク乗りはなぜハマショーを聴くのか

「バイク乗りには2種類いる。浜田省吾を聴くやつと、聴かないやつやつだ」というわけで、いきなり本題に入る。

この文章のテーマは「浜田省吾とバイク」だ。偶然にも私はバイクに乗るし、浜田省吾を聴く。どちらも16歳からだから、30年以上飽きずにバイクに乗り、ハマショーを聴いている。

我ながらしつこいとも思うし、これだけ長く楽しめる乗り物と音楽に出会えたことは幸福のひとつだとも思う。

これまでの、ハマショーを聴いてきたことはあまり公言してこなかったが、誰かのスマホの待ち受けがハマショーのアルバムジャケットだったり、ハマショーの曲を記事のタイトルにつけていたり、ハマショーのコンサートに行ってきた話をブログに書いてあったりと、バイク業界のあちこちでチラチラとハマショーを見つけるにつけ、両者には意外と共通項があるのかもしれない、と思うことはあった。

しかしそれをこれまで真剣に考えたことはなかったし、「実は俺も好きなんですよ、ハマショー」というような返答をすることもなかった。

私は自分の趣味嗜好を堂々と公言するのをどことなく恥ずかしいと思っている。パンツを脱ぐとまではいわないが、シャツを脱いで素肌を晒すくらいの恥ずかしさがある。世の中にはそうしたことを何の躊躇もなくできる人もいて、むしろそのほうが主流なのだろうが、ともかく私はそういうことなので家の外では隠れハマショー・ファンとして生きてきた。

バイクも同じようなもので、とはいってもこそこそと隠れてバイクに乗ってきたわけではないが、バイクに興味のない人にバイクの話はしないし、たとえ話を向けられても愛想を返すだけで終わらせてしまう。

「浜田省吾とバイクが好きだ!」そう公言しないのは、これによってこちらのキャラクターを限定されてしまいそうだからだ。もっともそれが間違ってるわけでもないのだが、つまらない固定観念は持たれないに越したことはない。

おそらくこの文章を読んでいる、浜田省吾にもバイクにも興味のない人は「山下 剛という書き手はそういう人間だ」とある種のカテゴライズをしていることだろう。ひと言でいうと「面倒くさい人物」という分類だ。

実際のところ合っているし、そう思われてもかまわないのだが、レッテルは少ないほうがいい。そういうわけだから、この文章を書いている今、私は誌面上でパンツまで脱いでいる気分である。

一昨年のことだった。本誌の特集のタイトルにピンときて、前編集長の神尾さんに「ひょっとしてハマショー好きですか?」と話を振ったのが運の尽き。それからこういう事態になっているのだから、やはり沈黙はナントヤラである。

パンツを脱いだ以上、恥ずかしがっていても格好悪いから、局部を手で隠すのはやめよう。

さて。バイクを走らせるにはガソリンが必要だ。ガス欠したバイクはくず鉄の塊だ。しかしガソリンが満タンだったとしても、走らせたいと思う人がそこにいなければ、バイクはやはり鉄くず同然だ。

だが、誰もがバイクを走らせられるわけではない。世の中の大半の人はバイクに乗らず、走らせようとも走りたいとも思っていない。

ならば、人がバイクを走らせるものは何か。何が人をバイクに向かわせるのか。何があればバイクはバイクとして存在できるのか。

バイクにキーを入れてイグニッションを回し、セルスターターを押すなりキックするなりでエンジンに火を入れ、クラッチを切ってギアを落とし、スロットルを捻って駆け出す。

己の脚では決して到達できないスピードの世界に身を委ねる―。そこへ至るために、人には何が必要なのか。私を動かすガソリンは、怒りや悔しさ、苛立ちや焦り、虚しさといった感情だった。

自分と世界との距離感をつかめないもどかしさが、それらを増幅させた。失意や絶望という添加剤も混ざっていただろう。ときにはそこに希望もあったが、バイクを走らせて燃えてしまえば何も残らなかった。

私は浜田省吾のロックにも同じような構造を感じる。彼が旋律を作り、そこへ詞を乗せて歌った動機は、やはり怒りや虚しさ、その他もろもろをもてあましていたからではないだろうか。

彼はデビューしてから数年は、レコードが売れなくて事務所の方針に従わざるを得ず、歌いたい歌を歌えなかったという。彼自身が「本当のデビューアルバム」ともいう6枚目から、それが叶うようになり、それからオリジナルアルバムの1曲目と、アルバムタイトルと同名の曲は過去のそれらを燃やし切るために作り、歌われてきたように思えてならない。

もうひとつ、ハマショーもバイクも好きという人に共通するのは、誰かと群れるよりも単独行動を選びがちなことだ。それが多少苦労を伴うとしても、ひとりでいたい。

たとえ誰かと行動を共にするにしても、増えるのはひとりだけ。バイクのバックシートはひとつしかないのだ。

ところで、アルバムジャケットの写真でバイクにまたがっていたり、ナナハンでマッポに追われたり、午前4時にバイクを走らせたり、と歌っていても、浜田省吾本人はバイクには乗らないそうだ。

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text:山下 剛/Takeshi Yamashita
1970年生まれ。東京都出身。新聞社写真部アルバイト、編集プロダクションを経てネコ・パブリッシングに入社。BMW BIKES、クラブマン編集部などで経験を積む。2011年マン島TT取材のために会社を辞め、現在はフリーランスライター&カメラマン。

僕にとっての最後の恋人

●ポルシェ911(993)
最後の空冷と呼ばれている4代目の993型。同モデルの生産終了によって、30年以上にわたるポルシェの空冷エンジンが幕を下ろした。室内レイアウトにおいてもナローを受け継いできた最後のモデルとなった。1993-1997年。

もうこれでいい、って思えた。

前々号の本誌リレーコラム「永遠の一台」で紹介させて頂いた、'95年式のポルシェ911カレラ(タイプ993)。長年憧れ続けた 〝空冷〟を手に入れた初夜に、自然と、しかしながら分厚く湧き上がった感想がこれだった。

確かにボクは仕事柄、沢山のクルマに乗ることができる。いわゆる最新のクルマたち、993なんかより遙かに進化したスーパースポーツたちに触れる機会に恵まれている。

自分で言うのも何だがそんな「いいモノを知る男」が、ポルシェとはいえ23年も前のカレラを〝アガリ〟と言い切るのって、いかがなものか?

でも、それは本当のことだ。そして自分でも少しだけイカしてるなと思うのは、やっぱり〝素カレラ〟を選んだこと。モチロンそれは、通を気取った〝ポーズ〟なんかで言ってるんじゃない。

可変吸気機構である「ヴァリオラム」もいらないし、後期型となって増えた285馬力のパワーも要らない。なにせ前出のリレーコラムでは、前期型カレラの馬力(272馬力)を後期型の数字で書いてしまったくらいである。開き直るわけじゃないが、それほどボクは、スペックには興味や執着がなかったのだ。

素カレラが良いと思った理由は簡単で、ずばり乗り味だ。世間映えより好みを優先しただけのことである。

ポルシェフリークなら「カレラRS」に憧れの矛先が向かうのは当然だが、今となってはそうした「役」すらも要らない。もちろんカレラRSは大好物だ。

しかしRSの本分はまず軽量化にあり、パワーに頼らずギア比のクロスレシオ化やボディ剛性の向上といった純レーシングソリューションで、その速さと運動性能が紡がれている部分にある。そしてそのストイックさが、カッコよいのである。実際走らせても、特に964RSは抜群にスイートだ。

しかし今やカレラRSは、964にしろ993にしろ雲上の投機対象となってしまっている。それってまるで、簡素な出来映えこそが究極の魅力である長治郎の黒茶碗に、途方もない付加価値が付けられているのと一緒じゃないか。……ってあぁ、そういうことなのか。もはや「RS」は、国宝級の存在なんだな。

でも。確かにそうかもしれないけれど、そんなシンプルさを手に入れるために莫大なカネを支払うことが許せるほど、ボクはオトナじゃない。それって何か、「RS」のコンセプトからも大きくズレてしまっているような気がしてならない。だからRSは、もう要らないのである。

とはいえ一時は400万円も出せば極上の中古車が手に入った993を、その1.5倍以上の価格で手に入れることも同様にコンセプトずれじゃないの?と問われれば「はい、そーですよ」とボクは答えるだろう。

つまりクルマ、ひいてはモノの価値なんて、個人の金銭感覚の線引きが決めるもの。そしてボクにとっては素カレラが、ギリギリ許せるボーダーラインだったのだと思う。

兎にも角にもそんないきさつで手に入れたカレラ。これに乗った感想は、もうひとこと「幸せ」という他はない。そこかしこが絶妙にボロく、ライトの接触不良は起こすし金属疲労でワイパーは折れるし、元から入っていた車高調サスのおかげで乗り心地が良いとは言えない。けれど、全てのピースがパチン! と揃い、〝ゾーン〟に入ったときの走りは筆舌に尽くしがたい。

アクセルを入れたと同時にベタッと掛かるRRらしいトラクション。バラバラと荒れていた排気音が高回転で野太くトーンを揃える快感。ブレーキを踏んでも、クルマを曲げても、全てが自分の五感にピタッとフィットする。

クルマという工業製品は、とっても不思議だ。速さや快適性といった利便性を第一とする一方で、人間の〝感性〟という領域にまでズカズカと踏み込んでくる。そしてボクはその感性を重視して、進化を続けた水冷モデルではなく、時計の針を止めた空冷911を選んだ。

ボクはきっとこの993が古くなっても、これに乗り続けるだろう。なぜなら993を走らせることが何より幸せだからである。

「もう、これでいい」ーこんな風に思える相棒と出会えたのは、軽い奇跡としか言いようがない。もしかしたら一年後にはこの婚約が解消されているかもしれないけれど、恋なんてそんなモンだろう。

でもボクには〝プロのクルマ好き〟としての自信が少しある。この出会いは本物だと。

そしてそれは、アナタにも訪れ得る奇跡だと、ボクは思うのである。

山田弘樹/Kouki Yamada
1971年生まれ。自動車雑誌「Tipo」編集部在籍後フリーランスに。GTI CUPをかわきりにスーパー耐久等に出場し、その経験を活かして執筆活動を行うが本人的には"プロのクルマ好き"スタンス。つい最近、長年憧れてきたポルシェ911(993)を手に入れた(その経緯はahead vol.182(2018年2月号)「永遠の一台」で書いている)。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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