SPECIAL ISSUE ハードボイルドでいこう

アヘッド ハードボイルドでいこう

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自由に見えて不自由な時代である。自分の発言や行動を縛るものは何もないように見えて、その実、“空気を読み”ながら発言し、行動していたりする。時代がどうであれ、他人になんと思われようとも、そしてそれを周囲に大声で主張する必要はないけれど、自分が本当に大事なものは守りたい。クルマやバイクは自分が自分らしくあるための頼もしき相棒なのである。

text:山下敦史、山田弘樹、山下 剛、山口圭司  [aheadアーカイブス vol.190 2018年9月号]
Chapter
SPECIAL ISSUE ハードボイルドでいこう
コミカルヒーローの舞台裏
ハードボイルドなクルマ選び
オールドスクールでいこう
面白い! か否か、それが問題だ。

SPECIAL ISSUE ハードボイルドでいこう

コミカルヒーローの舞台裏

本来ハードボイルドは生き方の問題なわけで、形は必要ないはずなのだが、そうはいっても映画では限られた時間でキャラクターを生きたものにしなければならず、彼(あるいは彼女)の服装や髪型や口調、何を好むか、何を嫌うか、あらゆるディテールが人物造形の肉付けに使われる。

中でもクルマは大きな要素だ。金持ちかそうでないのか、堅物か見栄っ張りか、クルマひとつでもどんな人物かを理解させられるのだ。

70年以上も昔の映画になるが、ハードボイルドのアイコン、ハンフリー・ボガードが探偵フィリップ・マーロウを演じた「三つ数えろ」 劇中、マーロウが乗るのはプリムスのクーペ。

高級車ではない。良くも悪くも仕事にこだわり過ぎるマーロウは金回りがいいとはいえず、大衆車に乗っているのだ。だが、そこには金では動かない男の矜持が見てとれる。ボギー流のスタイルはレトロだろうが、色あせない魅力を感じられるはずだ。

007=ジェームズ・ボンドはダンディズムの人でハードボイルドとは多分違うのだが(近年のは別として)、男の美学を体現するという意味では重なる部分もあるだろう。ボンドが映画に登場したのは1962年で、アストンマーティンDB5に乗るのは3作目から。

ボンドについては本題ではないので割愛、本題は70年代、ボンド的ダンディズムが陳腐化していた時代に登場した「ダーティハリー」のハリー・キャラハンだ。時代遅れのツイードジャケットを羽織り、悪をどこまでも追い詰めるハリーはボンドのように華麗でもダンディでもないが、現代でも通用するであろう鮮烈さを感じさせてくれる。

愛車はシリーズ通してではないがフォード・カスタム。警察車両にも多く使われたモデルとあり、ダーティの汚名を着ながらその実誰より警官魂を持ったハリーの素顔を思わせる。
時代が進むにつれ、男の美学的なハードボイルドはパロディにしかならなくなるのだが、70年代末のTVドラマ「探偵物語」は、それを逆手に取ることで逆説的にハードボイルドを成立させる先駆けとなった。

松田優作演じる私立探偵工藤俊作はぶつくさ愚痴をこぼしたりボコボコにされたり、正統派の格好いい主人公ではないのだが、大事なところでは悪党相手でも警察相手でも一歩も退かない、やっぱりハードボイルドヒーローだった。

工藤ちゃんがひょろ長い体を折りたたむように愛車ベスパで街を駆ける1カットだけで、これがどういう作品か分るだろう。思えば、当初は原作同様シリアス色が強かったアニメ「ルパン三世」が、やはりコミカルだがハードボイルドという路線で人気を博したのも同じ頃だ。

特に現在まで続く人気を決定付けた劇場版第2作「カリオストロの城」は「探偵物語」と同じ1979年。劇中のルパンの愛車フィアット500はスタイリッシュとはいえないけれど、小粋で機敏、敵や警察を手玉に取るルパン一味そのものだった。

直球でハードボイルドを描けなくなった時代だからこそ、どこか共通項を持つ両者が生まれたのだろう。

近年、といってももう10年前だが、アメコミ世界という現実離れした舞台設定を用意し、リアルでハードな描写と緻密な世界観を取り入れることで現代にハードボイルドを成立させた希有な作品が「ダークナイト」だった。底知れぬ悪の化身ジョーカーと、正義というより悪の天敵であるバットマン、それぞれの存在理由を懸けた死闘が描かれる。

劇中、バットマンの表の顔ブルース・ウェインが乗るクルマはランボルギーニ・ムルシエラゴ。大富豪だが、心の闇を抱える彼は運転手付きリムジンではなく、自らスーパーカーをかっ飛ばす。

さらにムルシエラゴとはスペイン語でコウモリの意味。彼がバットマンだと暗示しているのだ。

ハードボイルドに生きたいと言葉にすれば気恥ずかしいが、誰しもが最後の最後で自分を曲げない強さを持ちたい、誰のものでもない自分の価値観を持ちたいと、心のどこかで願っているんじゃないだろうか。

コミカルで隠したりアニメにしたりスーパーヒーロー映画を装ったりしてはいるけど、ここで挙げた映画がいつまでも支持され、観続けられているのは、なりたい自分、なりたかった自分を思い出させてくれるからだ。

理想の自分を追い続け、今の自分に自分を裏切っていないかと問い続ける。それが、ハードボイルドならざる人間の、精一杯のハードボイルドなのだと思う。

●HONDA モンキー125
車両本体価格:¥399,600/¥432,000(ABS)(共に税込)
エンジン:空冷4ストロークOHC単気筒
排気量:124cc  
最高出力:6.9kW(9.4ps)/7,000rpm
最大トルク:11Nm(1.1kgm)/5,250rpm
車両重量:105(ABSは107)kg

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text:山下敦史/Atsushi Yamashita
1967年生まれ。長崎県出身。国際基督教大学卒業。フリーライター、編集者。映画やエンターテイメント、テクノロジーなどの分野で執筆活動を展開する。著書に「ネタになる名作文学33-学校では教えない大人の読み方」ほか。

ハードボイルドなクルマ選び

●ABARTH 124 SPIDER
車両本体価格:¥3,986,000(6速MT、税込)
エンジン:直列4気筒マルチエア16バルブインタークーラーターボ
排気量:1,368cc 
最高出力:125kW(170ps)/5,500pm
最大トルク:250Nm(25.5kgm)/2,500rpm 
燃料消費率(JC08モード):13.8km/ℓ

こんなに移り気な世の中でも、いやだからこそ、これからは「ハードボイルドな生き方」が大切になってくる、と俺は思っている。そしてクルマやバイクや時計の選び方だって、同じようになるだろうと。なんたってこの3つは、男のお守りみたいなものだからだ。

「ハードボイルド」って言葉をググッてみると20世紀の小説がいくつか出てきて、フィリップ・マーロウやマイク・ハマーたちのようなニヒルガイに行き着く。暴力や汚職。それに抗う一筋縄じゃ行かない屈強な男たち…。

いやいやいや。そんな人生は、無理。俺が言いたいのは別に危ない橋を渡れってことじゃない。そりゃあ二枚目な方が世の中生きやすいし、ケンカが強いと自信がもてる。頭がキレればいうことなしだが、一番必要なのはそこじゃない。

ちょっとした口べたさと、ガッツだ。

どうやらハードボイルドの定義には「老人と海」のサンチャゴじーさんも含まれるみたいだから、つまりはちょっとした「ガンコ者」になることがこれからの生き方だと、俺はマジメに思うのだ。自分の夢や理想を、鼻水たらしながら、ときには休憩しながら、しかししぶとく追いかける。それも多くをぺちゃぺちゃ語らず、黙々とね。

そんな目でクルマ選びをしてみると、別にスーパーセブンやACコブラを気合い入れて乗りまわすのだけがハードボイルドじゃないって判る。たとえば長年の夢である山登りをするために、本当はレンジローバーに乗れたら最高だけど、ちょっと古いランクルを手に入れる。

911GT3だったら言うことないけど、NCロードスターを安く手に入れてサーキットに通う。立派にハードボイルド。
クラシックミニやルパンのチンクェチェント(ヌオーヴァ500だね)に道具を積めこんで日本一周するのもハードボイルド。だって遅くて古いクルマの方が、風やニオイや日本をじっくり感じられるからね。それがあまりに非現実的だというなら、初代BMWミニや、現行フィアット500でいい。旅には時間も金もかかるから、なるべく大きく故障しなさそうな、一番遅くて安いヤツをね。

ハードボイルドって夢を追いかけると同時に生き方だから、結果だけを追い求めるとまるで価値がなくなっちゃう。日本一周したいだけなら新幹線が一番効率いいし、目的地に着きたいだけなら飛行機でいい。でもそれ、「経験した」ってだけで最ッ高にツマラナイ。そのプロセスを経て、結果がどうあれそれを見に行くことが血と肉になるんだ。

「雨はこれから」という作品の中で、東本昌平が主人公の相棒にセパハンのSRやサニトラを選んだのにも、そういう気持ちが込められているんだろう。花形であるテレビマンとして過ごした時間に疑問を感じ、必要最低限の、しかし自由ある生活を手探りする50代男。

その不器用な生き方のしょぼさや不安、そして楽しさを、この簡素なトラックと単気筒のバイクが沢山語ってくれる。4輪マンガで言えば「GTロマン」(西風)のマスターが、いつまでもスカG(KPGC10)を愛し続けるのと同じ。つまりクルマやバイクや時計は、そいつの生き方を表すと最高にカッコいい。当たり前だけどそれは、性能や値段の高さじゃない。
俺にとってのハードボイルドなクルマは、フェラーリ348だった。この'89年に登場したV8フェラーリは、あまりの時代錯誤な走らせにくさと、後任モデルとなるF355の完成度の高さに挟まれ、口悪いヤツらからは「世紀の駄作」なんて言われていた。

けれど量産フェラーリ初の縦置きエンジンとなった志は高く、オイルが温まらないと入りにくいカギ型ゲートの、金属がこすれあうようなシフトフィールは、若き日の俺の心をくすぐった。エンジンはF355のように作られた音で鳴かず、マフラーを換えると正直に野太い爆音をまき散らした。
そういう意味では田舎娘丸出しの良さがあって、華やかさとエロチシズムで男を虜にするF355以降のフェラーリよりも、肌が合ったのかもしれない。

でも俺はそんな348を、ついぞ手に入れることはできなかった。どうしても彼女を養って行く自信がなかったのだ。そして今は、23年オチのケツデカ女房である911と暮らしている(あ、あとワンコロのAE86が居着いている)。でも、それで今はとても幸せだ。なぜなら彼女を本気で追いかけたプロセスがあるからこそ、ここにたどり着けたからだ。

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text:山田弘樹/Koki Yamada
自動車雑誌「Tipo」編集部在籍後フリーに。GTI CUPレースを皮切りにスーパー耐久等に出場し、その経験を活かして執筆活動を行うが、本人的には“プロのクルマ好き”スタンス。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

オールドスクールでいこう

RIDER:SEI KAMIO
撮影協力:ARAI HELMET/HYOD PRODUCTS/JAPEX(GAERNE)/トライアンフ横浜港北

先日、撮影仕事でバイクを走らせた。信号待ちでは照りつける太陽の暑さと剥き出しのエンジンが発する熱さにやられる。走り出しても熱波をかき混ぜるだけだ。

バイクのエンジンを切り、ちょっと離れたところからバイクと風景を眺める。気に入らない。あいにく目の届くところには清涼飲料水の自販機もない。途中、どこかの喫茶店で休憩しようにもバイクを停められる場所を探すのが億劫で、次の候補地までバイクを走らせてしまう。

連休の一日だったから比較的空いている。しかし上京してきたクルマの数もそこそこ多い。混雑して蒸し上がった都内を泳ぐようにすり抜けていく。

都内を走るバイクの数はずいぶんと減った。たまに見かけるバイク便ですら、急ぐでもなく混雑したクルマの列に混ざって走る。すり抜けなんていう下品なことはしない。

先を急ぐため首都高に乗った。大橋ジャンクションから山手トンネルへ入る。暑い。真夏のトンネル内の気温は40度をゆうに超える。一秒でも早く蒸された釜の中から出るべく、当然のようにクルマの間をすり抜けるが、きちんと車列へ並んで半クラッチを多用する上品なバイク乗りを何度か見かけたことがある。

ツイッターを見ていると「夏の山手トンネルは暑くてやばい、死ねる」とか「夏は走りません。自主規制です」などの書き込みが散見される。バイク乗り自身があまりにそう公言していると、気を回した警視庁が「山手トンネルは危険だからバイク通行禁止にする」と言い出しそうだ。

上品に茹であがるか。下品に砕け散るか。

そんなことを考えながらバイクを走らせていたが、近頃は仕事以外でバイクに乗る機会が減った。1年ほど前、久しぶりにクルマを買った。中古のスバルR1だが、バイクよりも格段に快適だ。疲れない。クルマはすばらしい乗り物だ。R1のオドメーターは1年で1万㎞以上延びたが、モトグッチは2000㎞にも届かない。

それだけではない。たとえば渋滞だ。バイクだとすり抜けて走るが、クルマはどうにもできない。抜け道を探したところで、誰もがカーナビやグーグルマップを使える世の中だ。渋滞を回避する抜け道などもう存在しない。あきらめるしかない。

初めのうちこそ、バイクだったら……と嘆いたが次第に慣れた。渋滞に飲み込まれても何も感じなくなった。いや、慣れたというと少し違う。萎えた、というほうが的確だ。ゆるやかな流れに飲まれながら前走車に追従し、種々の判断も任せてしまう怠惰な運転が染みつきはじめた。一所懸命に運転する気力が失われていく。
 
近年とくに週末や連休の渋滞では、どのドライバーも苛立った素振りを見せない。少しでも流れがいい車線を探して右往左往するクルマはほとんどいない。渋滞に苛立つことの無意味さを知ったのだろうし、追従型クルーズコントロールの普及が進んだこともあるのだろう。ドライバーの意識が向上し、交通社会が成熟したのかもしれない。だが、それだけではない気がする。
 
バブル崩壊。上向かない景気。沈んだままの経済。先の見えない不安。高齢化社会。環境保護。人に厳しく、地球にやさしく。コストパフォーマンス。生き残るために重要なのは貯蓄だ。消費は愚行だ。効率は主義だ。低燃費こそ正義だ。
 
昨今の交通事情はそんな時代を反映しているように思えてならない。半ば強制的な抑制が人々の前へ進む力を削いでいる。遅々として進まずとも道連れとばかりに燃費と効率が下がり続ける現状を受け入れる諦観。
 
渋滞にまぎれてしまうとある種の快感にも浸れる。横並び。等速。他人と格差がつかない安息の心地よさ。抜け出せないが落ちこぼれもしない。
 
バイクはそんな群衆をすり抜けて単独で前へと進める。すばらしい乗り物だ。
 
だが、すり抜けするバイクは減っている。そもそもルールとして限りなくブラックに近いグレーであるし、接触転倒のリスクを考えれば当然だ。だからクルマでの渋滞に慣らされた後でバイクに乗っても、すり抜けようとする発想がそもそも湧かない。社会におけるバイクの存在価値を考えれば喜ぶべき傾向だ。
 
この頃はモトブログというメディアが流行っている。ヘルメットに装着したムービーカメラで走行シーンを実況しながら撮影する。その映像をユーチューブで配信するものだ。一般公開するからにはすり抜けなどという下品な行動は公開処刑される。
 
モトブログの視聴者たちは、未知の経験や好奇心が刺激されることを求めていない。彼らがそこに望んでいるのは共通の体験であり、バイクのあるささやかな日常から得られる共感だ。バイクという趣味を通じて皆と同調し、仲間を増やしていくことが彼らの喜びだ。すり抜けて一人先へ行こうとはしない。彼らが今、そしてこれからの道を走る新しいバイク乗りだ。
 
新しいバイクに馴染めない古い乗り手は新しい道を走れない。いや、だからといってまだ萎えたくはない。あと少し、もうちょっとだけバイクを走らせていたい。頭を完全に茹であげられてしまう前に山手トンネルを抜けよう。
 
古い乗り手は下品に砕け散る夢を見ながら、明日もバイクを走らせようと企むのだ。

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text:山下 剛/Takeshi Yamashita
1970年生まれ。東京都出身。新聞社写真部アルバイト、編集プロダクションを経てネコ・パブリッシングに入社。BMW BIKES、クラブマン編集部などで経験を積む。2011年マン島TT取材のために会社を辞め、現在はフリーランスライター&カメラマン。

面白い! か否か、それが問題だ。

photo・チーム エー・シー・ピー

グワッ、グワー。けたたましいモモイロペリカンのダミ声が静寂を打ち破る。建て付けの悪い木戸を蹴破って飛び出すと、気付かぬうちに夜が明けていた。サハラへ来てからというもの、もともと遅いWiFi回線が頻繁に途切れるため、夜明けまでデイリーレポートの更新作業に追われるタフな日々が2週間も続いている。

「あと30分で出発です」 慌てて朝食を済ませ、まだ熱を帯びた砂だらけのノートPCをバックパックに押し込む。粉雪舞う極寒のパリをスタートして灼熱のサハラ砂漠を越えてきた7000㎞の道程が脳内を駆け巡る。旅の最終日、ゴールは近い。

植民地時代の面影が色濃く残るサン・ルイの旧市街を抜け、セネガル川に掛かるフェデルブ橋を渡ると景色は一変。赤い砂漠を貫く道の両側にオブジェのような樹形のバオバブが点在し、サン・テクジュベリがここで執筆した「星の王子さま」の世界が広がる。

気温は45度。貿易風が巻き上げる砂埃で褐色にくすむ空、耳の穴に指を突っ込むとこぼれ落ちる細かい砂。やっぱり旅は〝面白い!〟。

やがて砂の色が白く変わり、ひと際目を引くバオバブの巨樹の先に「ラックローズ」が現れた。バラ色の塩湖ラックローズは、パリ・ダカールラリーがサハラ砂漠を舞台としていた2005年までのゴール地だった場所で、この旅「ETHICAL CRUISE PARISS-DAKAR 2018」を企画・主催しているチーム エー・シー・ピーのルーツとも言える場所だ。

17年ぶりにサハラを再訪したBOSS(横田紀一郎さん)と共に過ごした時間は、またひとつ特上の〝面白い!〟を授けてくれた。
そもそも、ボクがチーム エー・シー・ピーのハードな旅に出ることになったのは、打算や野心に対する興味が希薄で、判断基準は〝面白い!〟か否か。ただそれだけで還暦近くまで人生を渡り歩いて来たからに他ならない。

「一緒にモンゴルに行かない?」
2006年、半年ぶりにお会いした横田さんに開口一番そう告げられた。藪から棒な誘いに一瞬戸惑ったが、次の言葉で心は決まった。

「オフロードラリーってさ、サーキットと違って観客が居ないモータースポーツだろ。ネットで実況中継って出来ないかな?」
〝面白い!〟当時45歳のボクは迷うことなく即答し、遅咲きの新人としてチーム エー・シー・ピーの末席に加わることになった。

そして向かえたラリー本番、モンゴルから5分間隔で、現在位置、標高、車速、車載カメラの画像を常時接続のイリジウム衛星携帯電話で日本へ転送し、リアルタイムでWEBページのマップ上に表示するという、当時としては先進的な挑戦を成功させたのである。
「一緒に南米行かない?」
2008年、またしても唐突な誘いがあった。しかも南米5ヵ国を巡る40日間の長旅である。フリーランスのデザイナーを生業としているので時間も行動も自由ではあるが、長期間仕事をストップしたらクライアントに見限られるんじゃないだろうか? 

多少の不安はあったが、そもそもゼロから始めた人生、こんなチャンスは二度と巡って来ないかも知れない。迷った時には何時だって〝面白い!〟と思える方を選択してきたボクは、退路を絶って旅立つ決意をしたのだ。
初めての南米。ウキウキ気分でエクアドルのマリスカル・スクレ国際空港へ降り立ったボクは、何気無く横田さんにこれからの予定を訪ねた。すぐさま罵声が浴びせられた。

「俺はお前の添乗員じゃねぇ! やる気がないんだったら今すぐ日本へ帰れ!」
それから毎日のように横田さんのカミナリに打たれ続けた。この歳になって怒鳴られるとは夢にも思わなかった。何が悪いのか…。自問自答の末、大きな勘違いに気付いた。〝ボクなりに精一杯〟ではダメなのだ。

するべき事を嗅ぎ分け、常に先を読むことに集中しなければ、せっかくの〝面白い!〟を味わえないじゃないか。翌日から怒鳴り声はピタリと止んだ。この旅は真剣勝負なのだ。ボクが思い悩む間も旅は進み、すでにアンデス山脈を越えようとしていた。
ボリビアの首都ラパスからウユニ塩湖へ向かう途中、プリウスから無線連絡が入った。
「山口くん、プリウスの運転代わって」

1999年から続けている「エコミッション」で、責任あるプリウスのドライバーを堅持してきた横田さんが初めて他のメンバー、しかもボクにステアリングを託したのだ。ルートは荒れたグラベル。フカフカの砂と洗濯板が続く。

もしもクルマを壊したら、旅が終わるどころでは済まない。緊張のあまり手のひらから汗が吹き出す。

ウユニの町まで600㎞を走り終えた時、本当の意味でチームの一員になれた気がした。

インターネットの爆発的な普及で、世界中の情報が手に入る今も、そこへ行かなければ本物の〝面白い!〟を味わうことは出来ない。新たな〝面白い!〟を探す旅への想いは膨らむばかりだ。

|チーム エー・シー・ピー (Adventurous Creative Persons)|
代表の横田紀一郎氏が日本人で初めてパリ・ダカールラリーに出場するため1979年に結成された日本自動車連盟(JAF)の公認チーム。12年間サハラ砂漠に挑み、2輪駆動のカリーナで出場しクラス3冠優勝を果たすなど、クロスカントリーラリーのパイオニアとして一時代を築き、著名な冒険家、ラリースト、写真家のルーツともなった名門。初代プリウス発売直後1999年から地球の環境最前線を巡る「エコミッション」を慣行。北米大陸横断、ヨーロッパ一周、サハラ砂漠縦断、ユーラシア大陸横断、南米大陸縦断、オーストラリア大陸一周など100,000km以上を走破。未来を見据えた環境企画をプロデュースし続けている。

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text:山口圭司/Keiji Yamaguchi
1961年岩手県生まれ。グラフィック・WEBデザイン制作会社を経営するデジタルクリエイター。2005年からTeam ACPメンバーに加わり、モンゴルラリー、南米縦断、オーストラリア一周、韓国横断、日本縦走など、エコミッションをはじめとする国内外のアクティビティに参加し、プリウスの車窓から見える自然環境や人々の暮らしを、あらゆる通信手段を駆使して世界中からネット配信している。本誌aheadのWEBデザイナーでもある。
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