マン島に見る死生観 Isle of Man

マン島に見る死生観 Isle of Man

アヘッド マン島に見る死生観 Isle of Man

▶︎ラムジーの町を背後に抱えるポイント、ガスリーズメモリアルを通過するダン・ニーン選手。この2日後の5月30日のプラクティス走行中にクラッシュ、帰らぬ人となった。(photo:山下剛)

マン島TTとは何か

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いまでこそ「危険なレース」というひと言で知られるようになってしまったマン島TTレース(以下、TT)。だが、その背景にはさまざまな側面をはらんでいることをもっと伝えたいと思い、23年間通い続けている。

ツーリスト・トロフィー(旅行者杯)の名が冠されたTTの発端は、1904年にイギリスとアイルランドの自動車クラブ(AC)がマン島政府にレース開催を持ちかけたことから始まった。背景には、イギリス自動車産業を取り巻く情勢と、マン島政府の思惑があった。

黎明期の自動車産業において、ヨーロッパ大陸の国際都市間レースは性能実証と宣伝のための重要なイベントだったが、イギリス車は苦戦していた。当時はレース専用サーキットが存在せず、大ブリテン島において長距離レース開催は社会情勢上、難しかった。そこで、観光の目玉を探していた独立自治の島、マン島にACが開催を持ちかけた。一般には目することが少なかったクルマやオートバイを、レースという形で見物できるモータースポーツは、島おこしにうってつけだったのだ。

かくして1905年に四輪のTTが、1907年には二輪のTTが始まった。

いまでこそ〝平均時速世界最速のレース〟として名を馳せるTTだが、当時はスピードだけでなく燃費も興味の対象であった。

1周60㎞もの長いコースには〝マーシャル〟と呼ばれるコース監視員が配置された。当初は、組織力を買われて炭鉱夫や漁民を採用。現在では1600人にも及ぶボランティアで構成される彼らは、モータースポーツ文化の醸成に一役かっている。また、レースの経過を掲げるスコアボードは現在も111年前と同じように手書きでスカウトの少年少女が担当しTTの風物詩となっている。

安全面においても興行面でも運営に長けていたTTは、第二次世界大戦後に始まった世界グランプリ──現在のモトGPの第一回目の開催地に選ばれ、名実ともに世界最高峰のレースイベントになった。ホンダがTT優勝を目指し、のちに世界を席巻するメーカーに成長したのは周知の通りである。

1957年には平均時速100マイル(160キロ)を越えたが、公道レースという制約の中で、安全対策も常に改革していった。例えば、世界で初めてモータースポーツに救急ヘリコプターを導入したのはTTだ。

だが、やがてレースの舞台はより安全なクローズドサーキットに移り、他の公道レース同様、
1979年には世界GPから外れることとなった。そこで創設されたのが、市販車改造クラスのTT|F1だ。旅行者杯の原点に還るというわけだ。TTーF1はのちにワールドスーパーバイクシリーズ(WSBK)に発展した。

世界GPから外れてなお、世界中のライダーの憧れの地であり続けたTT。90年代にはヒストリックマシンによるパレードやクラブミーティングの人気も高まり、レースだけでなくバイクの総合イベントとして盛り上がった。

2007年には100周年を迎え、さらなる改革が行われた。担当省庁は観光省から経済省・企業省に変わり、メディア戦略が顕著となった。2013年にはロンドンオリンピックにも関わったスポーツコンサルタント会社も絡んで「TTワールドシリーズ化」をぶち上げた。世界各地にTTというコンテンツを売り込み、その頂点としてマン島のTTを位置付けるというものだったが、さすがにこれは頓挫。

しかし、〝TT〟をマン島政府により商標化して有償化し、映画制作・ゲーム制作への協力、テレビ放映権の拡大など、ますますTTのアイコン化を進めている。

レースの変遷だけを見ると、興行化・商業化が著しいと感じるが、島民にとってTTは長い歴史の中で培われた〝モータースポーツ文化〟として根付いている。多くの島民が〝祭り〟としてTTを楽しみ、ボランティアで運営を支える。

TTは今年、キャッチフレーズを変更した。長らく使われていたROAD RACING CAPITAL OF THE WORLD から、THE WORLD'S ULTIMATE ROAD RACE となった。

〝究極のレース〟であるために、世界最速のレースを目指しているようにも見える。今年はラップレコードが更新され、ピーター・ヒックマン選手が平均時速135.452マイルを記録した。

マシンの性能とライダーの技術が向上したからこその記録だが、記録更新に向けた路面の改修も大きく関係しているはずだ。路面の改修は、公共事業として内需を生み出し、普段の生活道路としての安全にも寄与する。島民の理解を生む。

マン島政府は今後もTTを媒介とした島のプロモーションを行うことで、インバウンドを増やし、メディア産業を勃興させ権利収入と島内の雇用を促すだろう。TT、そしてマン島が世界の注目を集め続けるためには、TTが究極のレースでなければならず、マン島政府はTTを支え続けるだろう。

そして、TTが 〝究極のロードレース〟である限り、頂を目指すライダーは絶えることはないだろう。

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text:小林ゆき/Yuki Kobayashi
オートバイ雑誌の編集者を経て1998年に独立。 現在はフリーランスライター、ライディングスクール講師など幅広く活躍するほか、世界最古の公道オートバイレース・マン島TTレースへは 1996年から通い続け、文化人類学の研究テーマにもするなどライフワークとして取り組んでいる。

最期の瞬間に思うこと

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photo:山下 剛

人は死んだらどうなるのか。

10代の頃は時々そんなことを考えた。天国に召されるのか、地獄に落ちるのか。現世ではないどこかで永遠の時間が得られるのか、輪廻の果てに再びこの世に生を受けるのか。

しかしながら死は必ずやってくる事象ゆえ、いつかその答えを知ることができる。だからやがて深くは考えないようになった。

それよりも知りたくなったのは、人が死を迎える間際、なにを思うのかということだ。バイクに乗り、モータースポーツに関わっている分だけ身近な人をずいぶん亡くしてきた。その度にいつも「その瞬間、どんな気持ちだったのだろう」とふと考えてしまうのだ。答えは永遠に出ないことは分かっているのだけど。

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▶︎レギュレーションで走行中は身につけておくことが定められているドッグタグ(認識票)。最も「自分の死」を感じたアイテムだったという。

最初にそれを感じたのは、僕が中学3年生の時に発刊された『マン島に死す』(泉 優二著)を読んだ時だったと思う。主人公のレーシングライダー沢木 亮がマン島TTに挑み、タイトル通りの結末を迎えるレース小説だが、その描写が極めて簡素だったからだ。

〝亮は石垣へ首から激突して、動かなくなった〟とそれだけ。たったの1行である。そして、心にずっと引っ掛かっていたのはその数行前に〝亮は両手を前に突き出そうとした〟という一文があったことだ。バイクで転倒を喫し、衝撃をかわそうとするなら手を突き出すか、逆に縮めるかのどちらかしかない。

つまり、その行為によって沢木 亮は命に執着し、死に抵抗してみせたことを意味する。だからこそ、その瞬間に生きることを渇望したのか、迫りくる死に対して絶望したのかが気になって仕方がなかったのだ。

しかし、文中にそうした感情の欠片は見つけられなかった。泉 優二はリアリストゆえ、それを書かなかったのだと思う。生きるか死ぬかの狭間で走馬灯のように過去をフラッシュバックさせたり、別れた恋人の名を叫ばせたり。ドラマチックに仕立てる方法はいくらでもあるが、そうしなかったのは泉 優二もまた、死に直面したライダーの心情に明確な答えを出せなかったからではないか。今はそう解釈している。

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photo:礒部孝夫

8年前、僕はそのマン島TTに参戦した。レースの特性上、もしもの瞬間は一般的なレースに比べると多い。だから、近しい人に一通の文書を託しておいた。

なにかあったとしても恐怖や苦痛の中で死んだわけではないこと。アクシデントは誰のせいでもないこと。ヘルメットの中では「ごめん! やっちゃった」と自分で自分のそそっかしさに苦笑いしたに違いないこと。ちゃんとすべてを納得して受け入れたこと。そして家族へのごめんなさい。

死を迎える間際、「自分ならきっとこう思うに違いない」というあらゆる心模様をそこに書き連ねておいた。僕が逆の立場なら知りたいと思うことすべてであり、それを読めば残された人も「しょうがないな」とあきらめがつくのではないか。そう考えたのだ。

幸いにもそれは誰にも見せずに済んだが、その年のレースでは2名のライダーが死亡している。そのうちのひとりは僕と同じニューカマー(初参戦)であり、彼がクラッシュして命の灯が消えて行くその様も目の当たりにもした。

しかし気持ちはそれほど沈まなかった。同じ空間を共有し、同じ時間を過ごしたライダーのひとりとして、その死もまた自分の一部のように感じ、早い段階で受け入れていたのだ。

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生と死を分けているのは肉体の有無ではなく、生き方の密度なのだと思う。

肉体が有っても死んだように生きている者もいれば、肉体が無くなってもその存在を感じさせる者もいる。そして、人生の中でバイクに乗ることをわざわざ選択し、しかもレースの世界に足を踏み入れた者の多くはそれが色濃い。

それが強ければ強いほど、時に死という結果を招くことがあるがなにより自分で選択し、その可能性に期待し、未来を切り拓こうとした生命力の証に他ならない。

バイクとレースはそれを実感させてくれるものであり、マン島にはそういう空気が渦巻いているのである。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

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