EVオヤジの未来予想図 VOL.5 EVシフトに必要な勇気

アヘッド EVオヤジの未来予想図

※この記事には広告が含まれます

現在のガソリン自動車の原型は、1886年にカール・ベンツとゴットリーフ・ダイムラーの2人によって発明された。つまり現代の自動車は、19世紀の技術の継承に過ぎないのだ。

text:舘内 端  [aheadアーカイブス vol.182 2018年1月号]
Chapter
VOL.5 EVシフトに必要な勇気

VOL.5 EVシフトに必要な勇気

19世紀といえば、日本は江戸から明治へと大変革を果たした時代だ。日本人がまだチョンマゲで頭を飾り、帯刀して腰回りをにぎわしていた頃である。内燃機関自動車は、その頃の技術を発展させただけだ。

‌19世紀の技術の最大の特徴は、モノを燃やして発生した熱を動力に変換する技術だ。その始まりが、英国で発明され、ヨーロッパ大陸に広がり、産業革命を駆動した蒸気機関である。

蒸気機関の燃料には、まず木材が使われた。英国の森林を燃やしつくし、やがてヨーロッパ大陸の森林をすべて焼き尽くした。シュバルツバルトと呼ばれるドイツの〝黒い森〟はすべて植林による人工林である。

森林を焼き尽くした産業革命の炎は、燃料を求めて地下へと降りた。狙われたのは石炭だった。蒸気機関は、炭鉱の漏水をくみ上げるために使われ、やがて発明された蒸気機関車は、採掘された石炭を運搬するために使われ、産業革命の主役であった繊維産業を強く牽引した。

英国は、植民地としたインドから安い綿花を輸入し、これを蒸気機関を使った紡織機で大量に綿布にし、世界に売りさばき、大英帝国の礎とした。しかし、大量の石炭の消費はやがてロンドンを大気汚染に陥れ、1万人という大量死を招いた。

一方、19世紀の中庸の1868年に明治維新を成し遂げ、欧米に門戸を開いた日本は、産業の近代化に邁進する。足尾銅山の近代化・機械化もその一環であった。足尾銅山は、当時、日本の最大の輸出品であった銅の3分の1を産出していた。富国強兵の旗印のもと、足尾銅山は活況を呈した。

だが明治維新からたった10年後の1878年には、鉱毒による我が国の最初の公害が発生した。

一方、米国では戦前にすでにカリフォルニア州で自動車排ガスによる大気汚染が重篤な被害をもたらし、世界最初の「大気汚染防止法」が施行された。

世界を豊かにしたといわれる「近代化」は、豊かにしたのは欧米の一部と日本だけであり、その負の側面は世界に広がり、甚大な被害をもたらしている。その最大の問題が地球温暖化であり、その原因物質のCO2の18%は自動車から排出されている。

これは「近代」という時代の思想・哲学・技術・経済・産業・教育がもたらせたものだ。それに反対し、現在の働き方・子育て・生活様式にノンを突きつけている人たちの数は日増しに増えている。19世紀型近代技術で作られる内燃機関自動車に彼らから「ノン」が突きつけられたとしても、少しもおかしくない。

近代技術による「動力(蒸気機関)」の発明、植民地という「格差」に基づいた貿易、その世界的な展開である「グローバリゼーション」。そして天然資源の略奪と大量消費による「環境汚染」。これは、現代の経済の図式そのものである。

19世紀に端を発するこうしたやり方を止めようというのが、「パリ協定」である。その中心の課題が「脱炭素」だ。クリーンエネルギーの使用が可能な電気自動車への転換は、世界の必須なのである。

このままでは地球温暖化は止まらず、未来は壊滅的なのだから、「(化石燃料を使う)19世紀型技術による産業・経済・生活文化は止めよう」と世界が決意したのであって、航続距離が短くとも、充電インフラが整備されていなくとも、充電に時間がかかろうと、価格が高かろうと、自動車メーカーが倒産しようと、それによる失業者が出ようと、それを乗り越えて、世界は人類の存亡をかけて電気自動車に進むのである。

求められているのは、前進する勇気だ。

--------------------------------------------
text:舘内 端/Tadashi Tateuchi
自動車評論家。日本EVクラブ代表。1947年群馬県生まれ。日本大学理工学部卒業。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。日本における電気自動車の第一人者である。1994年 日本EVクラブ設立。『トヨタの危機!』(宝島社)など著書多数。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細