Rolling 40's VOL.114 東京モーターサイクルショー

アヘッド ROLLING 40's

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3月、私たちバイク乗りは暖かい風というものを数ヵ月ぶりに知り、バイクが冷たい風に耐え忍ばなくても良いものであるということを思い出す。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.184 2018年3月号]
Chapter
VOL.114 東京モーターサイクルショー

VOL.114 東京モーターサイクルショー

冬のバイクの辛さはバイク乗りだけが知る修行じみたものだ。私は最近では電熱ウェアという、バイクのバッテリーを電源とした、言ってみれば電気毛布をジャケットとグローブの中に仕込んだようなものを使っている。これを覚えてしまうと気温8度くらいまでなら全く寒さが苦になることもなくバイクに乗ることが出来る。

だがそれでもやはり気温8度を下回ってくるような1月中旬などは、もうバイクに乗ること自体を諦めてしまうこともある。

そんな日々とサヨウナラを実感できる春の風を感じだす今日この頃、それは私にとっては「東京モーターサイクルショー」の到来のファンファーレでもある。バイク乗りの、バイク乗りによる、バイク乗りのための、この一大イベントは今年で45回目を迎える。

私は一昨年の43回目から、ヘルメットインカム・ビーコムで有名なバイクパーツメーカー、「サインハウス」のトークイベントにビーコム大使として参加している。

イベントにおけるトーク内容は、このヘルメットインカムの利便性や機能に関することだけではない。大人のバイク遊びの果てしない追求心がメインテーマなのだ。

私はバイクについて語ったり書いたりするときに、一番心がけていることは、競技やビジネスの概念に囚われず、ただ好きなだけでバイクに乗る人間の視線だ。そこに損得は一切介在していないことが大事なのだ。

またヘルメットインカム・ビーコムについて語るときも、その宣伝の枠を通り越し、ヘルメットインカムというツールをバイク遊びに取り込むことにより起きる「意識変化」を語るようにしている。35年前からバイクに乗り続けているが、その「意識変化」は大きな意味があると思う。 私もヘルメットインカムを知ってまだ3年くらいなのだが、使い出してすぐに感じることは、バイクで走るということの意味が、「個人」から「コミュニケーション」のウェイトが大きくなるということである。

日曜日の箱根ツーリングなどの具体的なシーンを例として説明してみる。

ツーリングには最高な春めいた日の朝、海老名サービスエリアで友達と待ち合わせている中年男子の御一行様。ペチャクチャと大声で一通りおしゃべりをした後、めいめいにヘルメットを被ってバイクにまたがる。 そして高速道路に再び出て目的地に向かい走り出すや、聞こえるのはエンジン音と風の音ばかり。その瞬間から、さっきまで盛り上がっていたおしゃべり大会の高揚は消え、バイク仲間とは次の休憩ポイントまではサヨナラ状態なのである。

しかしヘルメットインカムをそれぞれが装着さえしていれば、走り出しても仲間とのおしゃべり空間は消えることがない。またバイクに乗りながら、という特殊な精神状態での会話は格別に楽しい。仲間同士の新密度が増すことは当然、交通状況などを細かく共有できるという安全装置としての部分も大きい。

もちろんバイクは己との対峙であり、それをペチャクチャ話しながらなどとは、笑止千万というような孤高の精神を持っている方もいるかもしれない。それはとってもかっこいいことかもしれないが、この春に50歳の誕生日を迎える私などは、もうそういうのは面倒になってしまい、とにかく楽しいことだけを貪欲に追求していきたいと思っている。

冗談ではなく、美的スタイルの追求よりも、自在にバイクを操れる時間があとどれくらい残っているかということの方が、今の私たちには最大の懸案事項なのだ。

また同年代のバイク乗りという稀有な仲間も年を重ねるごとに徐々に減り出している。引退の理由は経済的なことから身体的なことまで様々であるが、仲間のバイク乗りがバイクを降りると聞くと、何ともいえない陰鬱な気持ちになる。それはバイクを降りてしまう仲間の「不甲斐無さ」への批判ではなく、明日は我が身という共感的な部分が多い。

そんな季節に差し掛かっている、私たち80年代バイク乗り。これから先に出来ることは、どれだけバイクというものを楽しみつくせるかの追求である。

アドベンチャーバイクなども新しい流れだ。バイクファンの高年齢化がその一番の原因だと私は思っているが、競技性という呪縛からの開放である。80年代の、バイクレースの黄金期を体験としている私たちの世代はどうしてもバイクに対してレースの「雰囲気」を求めてしまいがちだ。

だがここに来てやっと、その呪縛から逃れるように、バイクを楽しく乗るという方向に人々の趣味嗜好が大きく舵を曲げたような気がする。若き日の青年も、いよいよ意地の張り合いに疲れたということなのだろう。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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