三好礼子 バイクとクルマのその後に

三好礼子 バイクとクルマのその後に

アヘッド 三好礼子

思えば、2008年にaheadの取材で初めて朝霧高原に暮らす礼子さんを訪ねたとき、彼女はちょうど変化の時期にあったのかも知れない。16歳でオートバイに乗り初め、高校卒業と同時にプレスライダーの仕事に就き、18歳(1976年)のとき、オートバイで日本一周。旅の相棒はSUZUKIのハスラー250だ。

アルバイトをしながら1年で3万㎞を駆け巡った。女性が一人でオートバイに乗って旅をするなんてことは考えられない時代。『ミスター・バイク』誌に綴った旅日記は世のオートバイ乗りに鮮烈な印象を与えたのだった。

当時の礼子さんのことが話題にのぼると、周りの男性諸氏はあの頃礼子さんがいかに美しかったか、どれだけ礼子さんに憧れたかをみな繰り返し語る。それほどに礼子さんは一世を風靡したのだった。

残念ながら一回り以上年下の私は当時の礼子さんを知らない。しかし、片岡義男の小説『彼のオートバイ彼女の島』の挿絵に使われた写真など、当時の礼子さんはみずみずしく、健康的な色気に溢れている。彼らがそう言うのも当然だ。
 
20代はオートバイショップを経営する傍ら、モトクロスにいそしみ、チームを作って鈴鹿8時間耐久レースに参戦するなどオートバイ三昧の日々。そして31歳(1988年)で、パリ・ダカールラリーに初めて出場。3度目の挑戦で二輪部門で完走を果たす。そうやって30代は二輪四輪問わずラリーにのめり込んだ。

住み慣れた東京を離れて現在の朝霧高原に移り住んだのは1995年。36歳の頃、体にさまざまな不調が現れたのがその切っ掛けだった。2000年、ラリーに一区切り付けると、アイガモ農法によるお米作りに挑戦する。自宅に「フェアリーカフェ」を開いたのは2005年。私が初めて会った2008年には、パートナーの上土井良弘さんと、ポニーとヤギと犬と猫とにわとりのいる大家族となっていた。

礼子さんは動物たちと畑やカフェという朝霧高原での暮らしそのものを自分の中心に位置づけているようだった。ただ私には、どことなく礼子さんが何かを探しているような、何か自分の中のバランスをとりあぐねているようなそんな感じがしていた。

アヘッド 三好礼子

Reiko Miyoshi
1957年12月生まれ。
国際ラリースト、エッセイスト。
トレイルランニングに情熱を傾ける今も、
クルマとオートバイはなくてはならない存在である。
現在の愛車はルノー「コレオス」。
何百キロ走っても全然平気と、愛車に乗ってどこまでも行く。

アヘッド 三好礼子

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