デザインとは何か ーミラノデザインウィーク2016「SETSUNA」に思うことー

デザインとは何か ーミラノデザインウィーク2016「SETSUNA」に思うことー

アヘッド デザインとは何か

私はデザインのことがわからない。自動車デザインのことも、見事に何もわからない。

それでいてデザインという言葉を毎日のように連発する。デザインってなんだろうと考えながら、いや考えずに、デザインという言葉を大売り出ししている。いったいどれくらい使っていることか。

日本を代表するグラフィックデザイナー、原 研哉氏が記した『デザインとはスタイリングではない。ものの形を計画的・意識的に作る行為はデザインだが、それだけではない』なる一文を読んだときは、だから、目から鱗が落ちる想いだった。彼は続ける。

『デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想である。したがって作ると同様に気付くということのなかにもデザインの本意がある』(【日本のデザイン|美意識がつくる未来 】岩波新書)

●トヨタ「SETSUNA」
全長:3,030mm 全幅:1,480mm 全高:970mm
ホイールベース:1,700mm 乗車定員:2名
パワートレーン:電動モーター
樹種 : 外板「杉」、インパネ・シート「栓(せん)」、ステアリング「檜」、フレーム「樺」、フロア「欅」


デザインの本意が気付くということのなかにもあるならば、と私は一台のクルマを想う。コンセプトはこれ、ターゲットとする顧客はこの層、値段を見て、ライバルとの違いを考え、社会的な存在としてのこのクルマのポジションを思う。そして結論。「ならばこのクルマのデザインはよろしいのではないか」、ここまでたどり着き、辺りを見回し、そして言う。「なんちゃって」 

だったら好きか嫌いか、それくらい述べてみようじゃないかと思うのだが、バッグならともかく自動車のような工業製品になると自信がないゆえ、相手によって意見を変える。

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▶︎トヨタ「MIRAI」。“知恵をカタチに”というデザインフィロソフィーのもと、最先端の技術を一目見ただけでユーザーに伝わるようデザインに結実させたという。


トヨタMIRAIを見て「いかにも未来を感じるいいカタチだ。オレは好きだな」と言うヒトがいれば、「そうだよね。アタシも好き」、こういうことをしゃあしゃあと言い、「せっかくなんだから、もうちょっとどうにかならなかったのかね。オレは嫌いだ」、こう言うヒトの前では「あのクルマは醜い、アタシも嫌い」とコロリと意見を変える。

それでいて、『MIRAIのデザインは好き嫌いが分かれるところであろうが』という自動車雑誌の一文を読むと、ジャーナリストがこういう逃げ方をしていいと思っているのかと、猛然と腹をたてる。お前の意見を言えと雑誌に向かって悪態をつくが、悪態をつく自分に意見はない。

デザインがわからないのは、おそらく私が育った時代と無縁ではないはず。昭和の高度成長期のニホンは戦後の貧しさと悔しさをバネに誰もが働きに働いて豊かな暮らしを求めたが、そこにはまだデザインという概念も、いや言葉すら一般的には浸透していなかった。大きければなんでもよろしい。まずは氷の作れる大きな冷蔵庫。

アヘッド デザインとは何か

この時代、『ボロは着てても心は錦』と歌ったのは水前寺清子だったが、見た目はみすぼらしくても心は豊かでいましょうね、とチータはニッポン人を励ました。この、〈ボロを着てても心は錦〉は、しかし、しだいに一人歩きを始める。

このフレーズは、ヒトを外見だけで判断してはいけない、となり、それがいつしかボロを着ている人は心が錦で、錦を纏う人は頭はカラなる評価を生み出した。実際、私が学生だった頃、着るものに凝る男はチャラチャラした奴と呼ばれたのである。

着るものに凝ってどこが悪い、それを示すにはイデオロギーが必要で、ヒトと違う格好をするにはイデオロギーを纏わねばならなかった。見た目の美しい人は清い心を持たねばならず、心が清くない美人は糾弾された。「ちょっときれいだと思って。なに、あの態度」 美人であることもしんどいニッポン。

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▶︎ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによる名車、いすゞ「117クーペ」。1966年3月のジュネーブショーで発表され、コンクール・デレガンスで優勝した。


見た目というのはもっと単純なことではあるまいか。かっこいい、美しい、不細工だ、なぜこの3つに集約できぬのか。なぜ精神性まで持ち出さねばならぬのか。こう考えながらも、デザインという言葉が出てくると腰が引ける。それはデザインは過剰の産物、オーバーフローなのではないか、こんな疑いから逃れられないからだった。これもあの時代に育った、そういうことだと思う。

おそらく3歳にも満たない、ごく幼い頃の記憶だが、横浜駅の地下道には足のない帰還兵がいて物乞いがいて、昼間、白服に身を包んだ兵士やうずくまる乞食の前を通ると必ずその晩、彼らが夢に出て来てうなされた。私が子供時代、もっとも恐ろしかった夢。

自動車雑誌『NAVI』のスタッフとなり、クルマのデザインを評価する作業に関わるようになったとき(私は点数表を整理しただけだが)、いつもなぜか、彼らの姿が思い出された。

その日の食事に事欠く人々の前でもデザインは力を持ち得るのだろうか。

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