中島みゆきを聴きながら

アヘッド 中島みゆき

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クルマの中でしか聴けない歌がある。クルマの中だからこそ心に響く歌がある。クルマの中には素直な自分がいるから……。クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルのを聴きながら、あるいはまた、中島みゆきを聴きながら、春の夜、ひとりクルマを走らせてみる。

text:岡小百合、若林葉子 photo:渕本智信 [aheadアーカイブス vol.136 2014年3月号]
Chapter
ひとりのときはソウルフルがいい Mary J. Blige — 「Everything」
中島みゆきを聴きながら — クルマの中のかくれんぼ

ひとりのときはソウルフルがいい Mary J. Blige — 「Everything」

text:岡小百合

エンジンが生み出す振動、窓から入る風の感触、シフトレバーやペダルの重さ、腰を下ろしたシートの柔らかさ、窓枠に切り取られながら移り変わっていく道の風景…。そういうものに包まれながらクルマのハンドルを握る時は、自分がもっともニュートラルになる時間のひとつだ。

禅で言うところの「無」に近い。とまでは、悟りの境地にほど遠い煩悩だらけの私には、恐れ多くてとても言えないけれど。少なくとも、運転しているという現実以外の思考や感情が、体の中にあんまり入ってこなくなる。つまり、無心になれる場所なのだ。

たぶん、不器用なのだと思う。一度にたくさんのことを同時にこなすのが、私にはけっこう難しい。特に運転は、命に関わる緊張感を伴う行為だから、なおのこと。ところどころに雪の残ったワインディングロードでなくたって、意識の重心はつねに運転のみ。それ以外のことは、あえておろそかにしつつ、無心の境地にただ在る贅沢にひたっていたい。

だからこそ、クルマ時間にとって、音楽はかなり大切な要素でもある。無心の境地を邪魔しないこと――呼吸はもちろんのこと、心臓が脈打っていることすらも意識にのぼらせないようなBGMが、私には必要なのだ。

そんな風に理屈で考えてみたのは初めてなのだが、大きく外れてもいないんじゃないか、と思ったのは、クルマの中で聴く曲の8割方がR&Bだということに、今さら気づいたからだ。マイナーコードで刻まれる、どこか影のある旋律。ゆったりとしたリズム。黒人独特の、パワフルにして甘い声と息づかい。R&Bの音に包まれながら運転していると、善でもなく悪でもなく、ポジでもなくネガでもなく、明でもなく暗でもなく、ただひたすら、今ここに自分が在ることを受け入れるような、しみじみとした気分になっていく。

「音楽の好みにはね、その人の、その人自身も自覚できていないかもしれない潜在的な心の在り様が表れるものなんですよ。たとえばロックに共感を覚える人は、不満だらけの現実を打破したいという気持ちがあるのかもしれない。ブルースが好きな人は、抑圧からの解放を求めている可能性もある。人種差別による抑圧された生活を強いられてきた黒人たちが、生きるために生み出した音楽ですから。という風に考えると、わかりやすいでしょ?」

心理学の教授からそう聞いたことがあったけれど、「こうあるべき」という考え方に支配されがちな私には、だからブルースから発展したというR&Bがしっくりくるのか、と納得したものだった。

中でもとりわけ、体も心も時間も空間も、自分を取り巻くすべてが溶け合ってしまうような感覚を、与えてくれる曲がある。グラミー賞に輝いた経歴も持つ黒人女性歌手、メアリーJブライジの「Everything」だ。積極的に選んでかけることは滅多にないのだが、クルマのステレオにセットした音楽の順番がこの曲まで回ってきて、イントロが流れ始めると、ほっとするような、心が凪ぐような、血流がたおやかに静まるような、そんな心地にさせられるのだ。

恋をつづった歌詞なのだが、それだけに終わらない深みを感じる。まるで人生賛歌のように響いてくるのは、R&Bのクイーンとの称号にふさわしい、ダイナミックな歌声や歌唱テクニックの成せる技か。あるいは、坂本 九の世界的ヒットソング「上を向いて歩こう」をベースにしているから、おなじみのメロディーに日本人としての血も喜ぶのだろうか。

いえ、それ以上に、彼女自身の人生が、影響を与えているのではないか。黒人としてアメリカに生まれ、ドラッグや銃が行き交う地域で育ち、幼い頃には大人からの虐待を繰り返されるという辛い過去を持っているのだと、聞いたことがある。才能が見出されてからも、明るい光の中だけを、まっすぐに歩く人生ではなかったらしい。

本人を直接知っているわけではないし、頭で考えて聴いているわけでもない。だから本当のところはわからない。わからないのだけれど、顔の表情やしぐさや声は、発せられる言葉以上にその人を物語る、という真実もある。ならばやはり、喜びも痛みも、すべてを受け入れて生きてきた彼女の人生が、その声ににじみ出ていないはずはない、とも思うのだ。

高い山を越え、深い川を渡り、そうやってクルマを走らせつつ、彼女の声に自分の人生を重ねているのかもしれない、とまでは思えないけれど、クルマの運転という無心の境地で、血流の中に無意識のうちに溶け込んでいる等身大の曲、それが「Everything」なのだというアイディアに、少々の気恥ずかしさを覚えつつ、少しの安らぎを感じてもいる。彼女と同じ女性ではあるが、私はもちろん、彼女のようなクイーンじゃあない。クイーンではないどころか、私ってやつは平凡の極みだなぁ、とつくづく思う。けれども、平凡な自分なりに、この身に起こった喜びも痛みも、すべてを受け入れて歩いてきた自信はあるのだから。
●Mary J. Blige
1971年、NY生まれ。。1992年アルバム『What’s the 411』でデビュー以来、“クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル”の名を欲しいままにしてきた1990年〜2000年代を代表する女性R&Bシンガー。中でも2005年リリースのアルバム『the Breakthrough』に収録されたバラードは自身のキャリアの中で最高セールスを記録。これまでにグラミー賞を6度受賞、マルチプラチナ・アルバム7枚を売り上げている。NYのブロンクスにて、4人兄弟の2番目として誕生。しかし父親の母親への虐待が原因で4歳の時に両親が離婚。自身も、知人から性的虐待を受けるなど辛い少女時代を過ごす。その苦しみから逃れるために、麻薬に手を出し、深刻なアルコール依存症に陥る。デビューして成功を納めてからも、過去のトラウマや恋愛面の悩みから依存症から抜け出せずにいた。しかし、夫の支えを得て自身を取り戻し依存症を乗り越え復活。人生の苦難を味わった彼女の音楽は、さまざまな人々の人生に影響を与えている。

●中島みゆき
1952年北海道札幌市生まれ。1975年に「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。以降、コンスタントに曲を発表し続け、これまでにオリジナルアルバム39枚、シングル43枚を発表。1977年「わかれうた」、1981年「悪女」、1994年「空と君のあいだに」、2000年「地上の星」と4つの年代にわたってオリコン・シングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストでもある(『中島みゆき オフィシャル・データブック』監修・株式会社ヤマハミュージックパブリッシッングより)。またライブ活動も精力的に行い、1976年の初コンサート以来、コンサートツアーは30回を超える。1989年からスタートさせた”言葉の可能性を追求する実験劇場”としての舞台《夜会》もすでに17回を数えている。「失恋歌の女王」などとも言われるが、歌のテーマは恋愛にとどまらず、時代を見据え、時代と向き合い、そのときどきに人の心にストレートに響く歌を歌い続けている。

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text:岡小百合/Sayuri Oka
大学卒業と同時に二玄社に入社。自動車雑誌『NAVI』で編集者として活躍。長女出産を機にフリーランスに。現在は主に自動車にまつわるテーマで執筆活動を行っている。愛車はアルファロメオ・147(MT)。40代後半にして一念発起し、二輪免許を取得した。

中島みゆきを聴きながら — クルマの中のかくれんぼ

子どもの頃、家の中の隠れ場所には事欠かなかった。大阪の実家は商いをしていたから、敷地の中に倉庫がいくつもあって、梯子でしか昇れない屋根裏の倉庫まであった。三世代で三世帯が暮らす賑やかな大所帯。そこに従業員まで加わると、それぞれに悪意はなくても、つまらない諍いの種はいくらでも生まれる。愛情もたっぷりと受けたが、子どもにとって平穏とは言いがたい環境だった。

だからかどうか、私はよくひとりかくれんぼをした。倉庫の棚に積まれた段ボールの隙間に隠れたり、普段は誰もあがってこない2階の、真っ暗な物置きの片隅の日だまりにじっとうずくまったり。親に叱られてこっそり泣くのも、大人の目の届かない路地の奥にある倉庫の扉の前だった。

何をしていたわけでもない。今思うと、私はそうやってまだ幼い自分の心を守っていたのだと思う。さまざまな「大人の事情」から。

そういえばもう何年も前、『コンフォルト』(建築資料研究社)という雑誌の編集長にインタビューした際、彼女はこんなことを言った。「日本の住宅は明るくなり過ぎました」 ――人間には明るさと同じくらい、暗がりも必要なのだと。

やがて、時代の波に呑まれ、実家は廃業し、思春期に入った私もかくれんぼはしなくなった。その頃だったろうか、中島みゆきを聴くようになったのは。

人並みには中森明菜も小泉今日子も聴いたし、松田聖子に至ってはシングルのB面まで空で歌えるほどはまった。そういう意味ではごく普通の10代だったと思う。けれどその一方で、私にはやはり中島みゆきが必要だった。松田聖子のカセットテープをかけるのとは対照的に、自分の部屋のすみっこで膝を抱えるようにして、イヤホンで中島みゆきの歌を聴いた。部屋を共有していた妹にさえ、中島みゆきを聴いていることを知られるのはうれしいことではなかった。

多分、中島みゆきは、思春期の私にとってかくれんぼとイコールだったのだ。バリケードの向こう側にあるのはもう「大人の事情」ではなくなって、恋やら友情やら将来の夢やら、もっとパーソナルな事情に変わっていたのだけれど。

あれから飛ぶように20年以上の時が流れた。あの時代、もちろん中島みゆきのファンはたくさんいたはずだが、中島みゆきを聴いているなんてことはおおっぴらに言えることではなかった。それはイコール「暗い」ヤツ、だったから。それが……今はテレビの主題歌のおかげか、中島みゆきを好きと公言できる時代になった。

そして私もどうにか、自分の暮らしを自分で賄えるようになり、自由気ままな一人暮らしだ。家族の目を気にすることなく、オーディオの音量を上げて堂々と中島みゆきを聞けるようになった。

……というのに、なぜだろう。私は今もやっぱり、まるで暗い部屋の片隅のようなクルマの中でだけ、中島みゆきの歌を聞いている。 

燦々と太陽の輝く明るい時間に中島みゆきは似合わない。昼間はただ前向きに社会と向き合うべき時間。日が暮れて夜になり、運転する私から見えるのは、街灯と信号と前を走るクルマのテールライトだけ。そうしてようやくオフィシャルな自分でいる必要がなくなったとき、はじめて中島みゆきを流すのだ。

クルマの中なら、他人の目を気にるすことはない。歌ったって構わない。泣いたって構わない。信号で止まったときだけ、前のクルマのバックミラーに映る自分をごまかせばいい。クルマをゆっくりと流しながら、涙を風に飛ばして、どこまでも好きなだけ走るのだ。

エンジンの振動と中島みゆきの声がシンクロし始めると、私は安心して、自分の心の昏さと向き合い、そういう自分を受け入れることができる。どうしようもない自分も、やはり自分なのだと。何年生きてきても、いつも同じことで躓いてしまう、そういう絶望的な自分も、やはり自分なのだと。

それは肯定でも否定でもない。そういう自分でいい、とは中島みゆきの歌は言ってはくれない。中島みゆきはそんなに甘くはない。何であれ人は死ぬまで生きるのだというそれだけのことに、私もただ繰り返し行きつくだけだ。

そんなふうに親しい人の励ましや慰めさえ届かないとき、中島みゆきの歌がいったい何度、疲れきった心を救ってくれたことだろう。

私にとって、今もかくれんぼと中島みゆきは結局、同じ。どちらも自分の心を守る術。

でも、自分ひとりではどこにも行けず、ひとりになれる場所を探し、膝を抱えていた幼い少女はもういない。少女は大人になって、クルマという自由を手に入れた。相変わらず臆病で、相変わらず中島みゆきが必要なところは少しも変わらないけれど、彼女の歌をクルマの中で聴いている私は、その歌とともにどこまでも行くことができるのだ。そのことを少しだけ感慨深く、幸せに感じてもいる。
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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
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