45歳からの原点回帰

10代の頃のときめき

アヘッド 45歳からの

text:大鶴義丹 photo:長谷川徹

いくつになっても忘れられない感覚がある。オートバイに乗り始めたころに覚えたカウンターを切る快感。いつの間にか大人になり、遊びまでも理屈で考えるようになっていった。結果、失ってしまったものは大きい。でも今ならまだ取り戻せる。要らないものを捨て去れば10代の頃のときめきが見えてくる。

50歳が見えて来た私たち世代の男子にとって、若い頃バイクを始めることに、きっかけや理由などは要らなかった。アマゾンの原住民の少年が大人になるために滝つぼに飛び込むのと同じことだ。ある種の民族的通過儀礼に過ぎない。

私がそんな滝つぼに飛び込んでから30年の時が流れた。16歳からほぼ途切れずにバイクに乗り続けている私がアラフォーからアラフィフになって気付いたことは、好きなことを好きにすればいいということだった。

20代30代、男の行動原理は分かり易い。そこにあるのは覇権のみである。出来る出来ないに関わらず全てのモノを手に入れよう、すべてのモノを飲み込んでしまおうと悪戦苦闘する。そのためには仲間も利用するし、犠牲だって恐れない。

しかしアラフィフになると分かりだす。その野望は普通の人間である限りは絶対に不可能だと。だが、普通の人間でも努力と情熱によっては、限られたものは手に入れられるし飲み込むこともできる。残された時間を有効に使うために、的を幾つかに絞る方が得策なのは分かり切ったことだった。

その結果、バイクに関して、私は何故か昔辞めたはずのオフロードバイクに回帰した。今までのバイクの乗り方を否定した訳ではなく、やっぱりオフロードが好きだったのだと思い出しただけである。

30代はバイク雑誌の仕事を始めたおかげで、300万円以上の外国製バイクにも散々乗り、国産の世界最速バイクをエンジンチューニングしたりした。筑波サーキットでタイムを縮めるレーサーごっこにもムキになり、40代になってからは映像化不可能と言われていた原作のバイク映画も作った。さらに劇中登場する500万円以上も改造費がかかった改造カタナやニンジャも自分のオモチャのように乗り回していた。

そんな私がである、アラフィフになった途端、再びオフロードに戻りたいと肉体が叫び始めているのに気付いた。滝つぼに飛び込んだのと同じだ、きっかけや理由などない。ある朝起きたらオフロードを走りたくなっていた。

そこで出会ったのがホンダ「CRF250L」だった。最新のマシンでありながら、どこか懐かしい匂いに溢れている。 

調べてみると、少しの期間、中型オフロードモデルを欠番状態にしていたホンダが、満を持して発売したワールドワイドなマシンであるという。生粋のレーサー「CRF」の称号を持つこのマシン、オフロード版レーサーレプリカかと思いきや、実はこのマシンはある世界観を強く主張していたのだ。それは私たちの時代には当たり前に存在していた「トレール」という言葉を理解する必要がある。

まだ「エンデューロマシン」などという言葉が普通ではなかった頃、それは入手不可能な輸出モデルで高嶺の花でしかなかった。私たちのとっての二輪のオフロードマシンとは「トレール」と呼ばれているバイクのことだったのだ。

街も高速道路もガンガン走れて2人乗りも楽ちんにでき、山に行けば林道でも獣道でも雪道でも怖いものなし。河原でのモトクロスごっこも可能、少しくらいは転んでも壊れず、やりたいことがなんでもできた万能マシン。それこそが「トレール」であった。

ホンダはスタイルと称号こそレーサーCRFを強く意識したが、その実は「トレール」にしかない真価を復権させたかったのではないだろうか。40万円と少しで買えるという値段設定がその証拠でもある。

昨今の外車も含めた最新のエンデューロマシンは凄い。ほとんどが無改造で国際レースに出られるようなスペックである。当然のように値段も100万円オーバーはざら。そんなのものを「転んで当然」の感覚で乗れる訳がない。メンテナンスも数千キロでオーバーホールが必要な代物である。

砂漠を含めた大自然の中を全開で走ることが大前提の設計であるエンデューロレーサーを街乗りや通勤に使えるはずもなく、林道を楽しく走り回るにも持て余すだろう。結局レースに出る以外は使いようがないモンスターなのだ。

しかしあの頃の「トレール」は違ったはずだ。思い出すとあの時代にはすべての国産メーカーから素晴らしく使い勝手の良い「トレール」がラインアップされていた。

アヘッド 45歳からの

16歳になって私が初めて手に入れたバイクはまさにその「トレール」だった。本当はオンロードの400㏄で峠に行きたかったのだが、スピードが出過ぎるからダメだと親に言われた。つまり本意ではない選択だったのだ。値段は33万円だったと記憶している。

運良く同じ車種に乗っている年上の方と知り合いになり、当時は半分合法だった多摩川の仮設モトクロス場に行くことになった。当然最初は上手く走れるはずもなく、すぐに転んで新車は傷だらけ。おまけにハンドルを曲げて半べそをかいていた。

しかしその後、練習の成果か、強引に直したハンドルで、一瞬だがリアタイヤを滑らせカウンターを切った状態で走ることが出来た。今考えると一秒かそこいらだが、その感覚が頭の中でスパークした。それからはカウンターばかり練習した。徐々にカウンターを当てる時間は長くなり、取り憑かれたようにそれを繰り返した。

当時から「逆ハン」という言葉は漫画「サーキットの狼」で知っていた。それは漫画の中の世界でのみ存在していた魔法と同義語である。その入り口に自分が立っていることに震えたのだ。麻薬のようにその感覚が脳の奥に染みわたっていくのを16歳の少年はひとり静かに感じていた。小学校、中学校とサッカーをやっていたが、球技の世界では一度も味わったことのない快感だった。

神奈川県の川崎市に住んでいたことから、次の日からひとりでも多摩川の土手に通い始めた。バイクの傷は増えていき、砂の上に投げ出されて息が出来なくなるのも日常的になった。小学生の頃からモトクロッサーに乗り、本格的なモトクロスをやっているような連中の走りのレベルには敵う訳もなかったが、若さ故にあっという間にそれなりに走れるようになっていったのだ。

次に私が向かったのは、当時は未舗装路で溢れていた丹沢の林道だった。そこに行くと「林道暴走族」と呼べるような連中とたくさん知り合いになった。インターネットという情報源がない時代である。その手の出会いは物事を大きく動かした。

相模原にあるオフロード専門のバイク屋にも出入りするようになったのだ。この店の存在は大きく、この店からオフロードのコアな情報を手に入るようになっていく。モトクロスの真似事も適当にはやったが、私が一番惹かれたのは、エンデューロと呼ばれる長距離のオフロードレースであった。その最高峰こそが、かの「パリ・ダカールラリー」だった。

だがそんなレースに出られるのは夢のまた夢で、高校生の頃は埼玉県などで行われるモトクロス場を何周もするような「草エンデューロ」と呼ばれる草レースに同年代の仲間と年に一回くらい参加するのが精いっぱいだった。

成績は80台くらい参加の35位くらいだったが、大人たちのお金のかかっている逆輸入マシンに混じっての結果なので、若さとは大したものである。結局その勢いで22歳までオフロード一色のバイクライフであった。最終的にはアメリカから逆輸入したホンダの「XR250」のレース仕様を持つまでになり、それをボロボロのイスズの「ファーゴ」にトランポして色々な場所に遠征していった。

しかし「ファーゴ」に罪はないが、このトランポを持つことが原因となり、私のバイクライフは一度終止符打つことになる。極論かもしれないがバイク乗りは、レースをしないならトランポを持ってはいけない。レースとバイクに乗るという作業は全く別のことなのだ。その二つは似ているようだが、乗っている人間の気持ちは全く別だ。

それを理解せず、競技場に行くならまだしも、関東近郊の山などに走りに行くにも、オフロードバイクをトランポするようになってしまった。エアコン付きで色々な道具も積めるので確かに楽である。空母で楽に移動して現地で小型戦闘機を発進させるというようなもので、確実に合理的である。

しかしそれを繰り返した挙句、結局バイクに乗りたいのか、オフロードバイクでアマチュア競技をしたいのかが分からなくなってしまったのだ。バイクに乗るということは不合理なことであり、合理性を追求する四輪とは絶対に相まみえることはないのである。

結果、競技にもバイクに乗ること自体にも興味をなくしてしまい、四輪の改造やレースに気持ちは移っていってしまった。

繰り返す、絶対にバイクをクルマで運んでは駄目だ。それをすると、バイク本来の意味や、バイクに乗ると言う目的の本質をあっという間に忘れてしまう。雨が降ろうが、暑くても寒くてもバイクで走ることがバイクと付き合う正しい姿なのである。最高のトレール車であるホンダ

「CRF250L」に乗るということは、その失敗を繰り返すまいと誓ったアラフィフの私が出した答えなのだ。

当時は、神話の中にしか存在しなかったエンデューロレーサーも、今では簡単に手に入れることができる。だがそれを今の私は必要としていない。私はレースをしたい訳ではない。街でも山でも、誰からも束縛されずに走り回りたいだけだ。私と同じような輩は沢山いるはずだ。30年間バイクに乗り続けた結果、得た答えはこんな簡単なことだった。だからこのマシンでスーパーに行って買い物もするし、オフロードでは、これからも土煙を上げてカウンターを切る。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968

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