もう少し、夏

アヘッド もう少し夏

夏の夜の海

アヘッド もう少し夏

text:嶋田智之

夏は夜、である。月の美しい頃合いは、確かにさらなり、だ。単純に綺麗だもの。闇の濃い晩だって悪くない。

しっとりとした少しぬるく重たい空気の中、蛍のように光を煌めかせて思い思いの場所へと流れていくヘッドランプの遠い群れ。すぐそばの道をどこか気怠そうに走り抜けていく1台、追いかけっこするみたいに連んで走る楽しげな2台。なぜだろう、部屋にいるときより穏やかな気分、やわらかい気分になれるから。

雨が降ったりしても、それはそれでいい。濡れたら濡れたで開き直ってしまえば、かえって気持ちいいものだ。肌寒い季節だと理由もなくみじめな気分になるのに、この季節だと不思議と何かが吹っ切れたみたいな感じで笑い出したくなる。

解釈はちょっと間違ってるかも知れないけど、なるほど、清少納言、解ってるじゃないか。そして僕はいいトシをして、そんな浮かれたようなことを言えるぐらいに上機嫌だ。

なぜ? ── 夏だから。

僕はさっきまで、海のそばにいた。まだあまり人影のない海沿いの駐車場に相棒のアルファ・ロメオを停め、浜辺に降りる階段に腰掛け、〝月の頃〟でも〝闇〟でもない中途半端な夜空の下、紙コップのコーヒーをすすっていた。

何をしてたのか。── ボケッとしてただけだ。

強いて言えば、波の音に耳を傾けたり、海と空の曖昧な境目を探してみたり、遠くに見える江ノ島のシルエットを眺めてみたり。そんなふうに他人から見たらどうでもいいようなことをしながら、いろんなことを考えていたのだろう。自分自身を見つめていたと言えればカッコイイのだけど、そういうものでもなかったように思う。そこで何を考えていたのか、ほんの少し前のことだというのに、ほとんど覚えていないのだから。

代わりに家に戻ってくるまでの道すがら、穏やかに走ってるときにはさざ波のように快い音を奏でるV6エンジンの囁きを耳にしながら、僕はいろんなことを思い出した。蝉時雨のシャワー、スイカ割りの後に繰り広げられたスイカのタネの銃撃戦、鼻緒の切れたゴム草履、眠かったラジオ体操、ずっと眺めていた入道雲、ちょっと好きだった蚊取り線香の匂い、似合わなかった麦わら帽子、涼風と風鈴、醤油の香りにやられた焼きトウモロコシ、夜中に忍び込んだ学校のプール、好きだった子との初デート、線香花火の胸がキュンとする感じ……。とりとめがなくて申し訳ないくらい、いろんなこと。ワケもなく楽しくてしょうがな
かった、たくさんの夏。

落ち込んでたわけではない。何かがあったわけでもない。けれど知らず知らず沈殿してたものが、やっぱりあったのだろう。それが海ぎわで呆けてた時間の中でスーッと抜けていって、そこにとても大切なものが湧き出してきたような感じだ。

最初は10代の頃、GS400だった。20代のヨンフォアでもKP61でも、30代前半のシトロエンでもミニでも、そんなふうに海まで走った。ずっと海に縁のないところで暮らしたせいか、昼間の喧噪の痕跡が残ってるような、この季節の夜の海のゆるい雰囲気が好きだった。

けれどいつしかビールと枝豆で、夏をダラダラとやり過ごすようになった。そんな者に季節は微笑んでくれたりはしない。僕は楽しいはずの夏を横目で見て、楽しむべき人生までもあっさりやり過ごしてしまうところだったのかも知れない。

夏が近づくと、あるいは夏の間、ときどきこうしてひっそり海まで走ってみる。決まって夜、それも遅い時間。ただそれだけのこと。でも、それだけのことで、夏は活き活きと色づき、気持ちがプクッと膨らんでくる。不思議な季節だなと思う。

あなたにとって、それは夜の海ではないかも知れない。高原かも知れないし、高速道路のパーキングエリアかも知れないし、何か別の想い出深い場所なのかも知れない。プシュッと開けてゴクッと喉を鳴らしてゴロゴロ過ごすのも悪くない。けれど想い浮かんだ場所まで、とりあえず走ってみようよ御同輩。

もちろん僕も季節が濃くなり、次第に薄らぐまで、きっと何回か。クルマは当然、あらためてバイクでも。問題があるとするなら、手に入れようと考えてるヤツが間に合うかどうか、だ。でも大丈夫。もう、夏は終わらない──。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

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