レゾンデートルある者の存在する理由

リーは理想の旅のカタチ春木久史

text:若林葉子 photo:三上勝久

今年の6月末〜7月にかけて、北海道とサハリンを舞台にした5日間のラリーが開催された。「第一回ノースアイランドラリー 札幌〜稚内〜サハリン5デイズ」である。

宗谷岬からわずか43㎞。時間にしてフェリーで約5時間。しかしサハリンは「外国」であり、入国するにはパスポートもビザも必要だ。歴史的経緯から見ても、サハリンは日本人にとってまさに近くて遠い島と言えるだろう。それだけに「サハリン」というのはいったいどんな場所なのだろうと、未知の世界への好奇心をかき立てられる。そして同時に私の興味はこのラリーを実現させた主催者へと向かった。

春木久史さん、その人である。

実は春木さんの存在は以前から知ってはいた。彼はライダーでもあり、『BIGTANK MAGAZINE』という雑誌の編集・発行人でもある。国内のラリーの現場でときどき顔を合わせることもあり、本誌で原稿をお願いしたこともあった。穏やかでスマートで誠実で頼もしい。漠然とそんな印象を持ってはいたが、しかしただそれだけで、日本と海外を結ぶラリーを実現させることは難しいはず。春木さんはどんな人なのだろうと、彼が暮らす札幌へ飛んだ。

春木さんは札幌で生まれ、子どもの頃の一時期を除いて、ずっと札幌で育った。父親が8人兄弟だったため従兄弟が多く、みなモータースポーツが好きだった。16歳になると当たり前のように原付免許を取り、兄のオートバイを借りて乗ったのが最初。春木さんは1966年生まれだから、いわゆるオートバイのど真ん中世代でもある。オートバイに乗ることも、パリ・ダカールラリーの映像に憧れたのもごく自然なことだった。

17歳のある時、冒険家である風間深志さんの主催するエンデューロレースのことを新聞で知り、「出るしかない」と即決する。その流れで、今度は日高の2デイズ・エンデューロにも出場した。この出会いが結果として春木さんの人生の方向性を左右することになったと言ってもいいだろう。

「エンデューロというのは伝えるのがすごく難しい競技なんです。もともと自分が知っていたモータースポーツとは、ファクトリーチームがいて、華やかで、シャンパンが飛び散る世界。それがかっこいいと憧れていたんだけど、エンデューロはそれとは全く色彩の違う世界でした。特にエンデューロの最高峰であるシックス・デイズ・エンデューロ(ISDE)を知った時には衝撃を受けました」

エンデューロという競技は春木さんの言葉によると、多くのチームスタッフが一人のライダーや一人のドライバーを勝たせるためにみんなでサポートする、そういった他の多くのモータースポーツに比べて、個人性が極めて重視される競技だ。例えば、整備の時間も、交換できる部品も限られているうえに、タイヤ交換をはじめとする整備も全て自分でやらなければならない。プロもアマチュアも全く同じ条件下で、自分の信頼できるオートバイ1台と、ウエストポーチに納められた工具だけで闘う。

フェアであり、極めてストイック。

「エンデューロという競技の持っているそういうフェアプレイの精神にすっかりやられてしまいました。それ以降、エンデューロという競技を日本の人にもっとちゃんと知ってもらいたいというのが、僕のライフワークになったんです」

取材者の立場となってISDEに関わり続け、時間が経ってもその魅力は褪せるどころか益々増していった。ただ、その概念や歴史はよく理解しているつもりでも、実際に走るライダーの気持ちや立場が今ひとつよく分からなかった。実際に6日間走るとはどういうことか、ライダーはどんな気持ちなのか。霞の向こうに見えている存在をもっと知りたい。次第にそう思うようになっていた。

そして2006年、38歳のときにISDEのニュージーランドに自ら出場し、完走する。因みにISDEは、一生を掛けて完走を目指す人もいるほど。甘い競技ではない。

「完走できるできないという意識で走ったわけではないのですが、終わってみれば完走しちゃったよ、という感じ」と本人は言うが、そこに至る6、7年は集中してライディングに取り組んだ。取材するうちに、知り合いのライダーも増え、どのくらいのことが出来れば良いかという基準ができていたのも良かったのかも知れない。それでも「人生最大の試験に受かったという感じ」がするほど大きな達成感を得た。

「でも、同時にちょっとした燃え尽き症候群みたいになりました。目標を失ったというか…」

春木さんは、ISDE出場に相前後して、『BIGTANK MAGAZINE』の発行以外にも、それまでとは違う仕事を手掛けている。一つは、1999年を最後に中断していた「日高2デイズ・エンデューロ」の再興。もう一つはSSERの主催するラリー、「北海道4デイズ」のコースディレクターだ。

18歳から通い続けた日高2デイズ・エンデューロはこのまま無くなってしまうのが惜しくて、2002年に数名の仲間で再開に向けてオーガナイズクラブを立ち上げた。しかし、苦労が多かった。クローズドのオフロードコースと違って、コースとなる道の全ての地域の理解と、道路使用許可を取らなくてはならない。また100㎞以上にもなるコースの安全を確保しなくてはならない。半年がかりで準備し、ほぼ生活のすべてを掛けた。

「でも本格的なオーガナイズというのは初めてのことで、素人故に大会のクオリティも決して高いとは言えず。苦労が多いわりには評価も低くて、二度とやりたくないと思いました」 ——と、くさりはしたが、本当にやめようとは思わなかった。「中断していたものをもう一度やるというのは、ものすごいモチベーションだったからでしょうね。エンデューロライダーにとって日高は特別なんです。あれだけ注目されて、あれだけ影響を与えた大会が自分たちの世代で終わってしまっていいのかと、意地みたいなものもあったと思います」 そして3年、4年と続けるうち、次第に評価を得るようになっていった。ISDEを完走して目標を見失ったかのような春木さんだったが、日高のオーガナイズに集中することで、次第に気持ちの切り替えができた。

一方、北海道4デイスはエンデューロではなくて、コマ図を用いて走るクロスカントリーラリーだ。そのルート作りを任されたとき、春木さんは当初、一生懸命、エンデューロ的なものを目指したという。タイムを競わない移動区間のリエゾンを少なくし、タイム計測される競技区間を一日に3回、4回とできるだけ多く設定したりした。

「でも参加者に接しているうちに、そこにこだわる必要はないのかなと思うようになって、次第にラリーというのが、ツーリズムの理想的なカタチに思えて来たんです。いわゆるガイドツーリングじゃなくて、ちょっとしたナビゲーションの技術さえあれば、自分の好きなペースで走れる。ルート通りに走らなきゃいけないから自由じゃないでしょという人もいるけど、決められたルートの中でシームレスに走れるのは、ツーリズムとしてすごくいい方法じゃないかと」

そして北海道4デイズのルート作りを手掛けた当初から、この先にサハリンラリーがあるのではないかとその可能性を漠然と思い描いたという。

それから何度か海を渡り、オートバイで走ってもみた。実際に実現できる感触を得たのは昨年、2013年6月のことだった。最初に海を渡った2011年。稚内のフェリー乗り場でたまたま乗り合わせたのが、ユジノサハリンスクの駐在所に所長として赴任する稚内市の職員の男性だった。言葉を交わすうち、彼もオートバイ乗りだと分かり意気投合。そんな偶然も実現に拍車をかけた。

「日高2デイズ」で培ったオーガナイズの経験と、「北海道4デイズ」でのコースディレクション。それがどちらも生きた。

「なぜ札幌をスタートしたかというと、どうしても2つの島を繋ぎたかったんです。北海道とサハリンは地勢的には連続しているんです。なのに2つの島の間には国境がある。そのことで文化や文明がはっきり違う。それに時間的な隔たりも感じられる。向こうは北海道の100年前みたいな風景。日本の道路などのインフラがいかに作り込まれているかっていうのもよく分かるし、それがいいのか悪いのかということを考えるきっかけにもなる。それに向こうに行くと、暮らしている人の表情に余裕があるように見えるんですよね。ちょっとステレオタイプだけど、こういうゆとりを今の日本人はなくしてしまったんだなぁとか、いろいろ感じることがあるんです」

自分の知識や経験や考えを伝えるのに、実際に体験してもらうこと以上に強いものはない。日高2デイズ・エンデューロも、ノースアイランドラリーも春木さんにとって、彼自身の表現に他ならない。

「僕はノースアイランドラリーのことを大きなステップとは感じていないんです。それが良かったと思う。ちょっとずつ進んできた実感があります」

日高2デイズにも北海道4デイズにも先人はいる。実はサハリンにもラリーを実現しようとした先人がいる。春木さんは十分にそれを分かった上で、引き継げるものは引き継ぎ、自分が表現したいことを表現する。しかし表現したいことにこだわりすぎると、参加者がおきざりにされることもある。だから競技にしろ、ラリーにしろ「主催」には、根底に優しさがなければならないと思う。春木さんはその点—―私は北海道4デイズにサポートとして参加した経験があるから分かるのだが——自分の表現と、参加者の求めているものの間を行き来し、より良い表現に高めて行くことができる人だ。

「若いころ、願わくば、何かを表現して、それに対して、良いも悪いも含めた評価を受ける仕事をしたいと思っていました」

 春木さんは、言葉で表現するだけでなく、それを多くの人と実際に分かち合える表現方法を見出したのだ。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。

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