レゾンデートルある者の存在する理由

競争を求めないレーサー

text:山下 剛

二輪のモータージャーナリストにしてレーシングライダー、それが伊丹孝裕の肩書きだ。二輪のモータージャーナリストはたくさんいるし、ワークスライダーからサンデーレーサーまで数えればライダーは星の数ほどいる。しかしどちらも一定以上のレベルでこなせる人間となると、そうはいない。しかも「マン島TT」、「鈴鹿8耐」そして「パイクスピーク」という世界に名だたる3レースを完走した実績を持っているとなれば、伊丹孝裕をおいて他にいない。

伊丹がバイク業界に入ったのは2003年というのだから、遡ること11年前のことだ。決して長いとは言えないキャリアでありながら、はっきりとした肩書きを示せるというのは、すごいことだと思う。

多分、伊丹にしてみれば、やりたいことをやってきただけで、今の自分を目指してきたわけではないのだろう。少年の頃にテレビで見たバイクレースに惹かれ、創刊されたばかりのクラブマンがきっかけでマン島TTに憧れ、プロライダーを夢見て地方選手権を走っていたというから、どこにでもいる普通のライダーだったはずだ。バイクレースのことが好きで、ただひたすらバイクに関わりながら生きてきたにすぎない。

しかしそれだけなら、バイク業界に携わっている人間のほとんどがそうだ。バイクのことが大好きで、バイク以外のことを考えられないからバイクを飯のタネにしている奴しか見当たらない。話は逸れるが私もそのひとりだ。私にとってバイクとはメガネみたいなもので、どこか劣っている自分を補ってくれ、なんとかマトモな人生に踏みとどまらせてくれている存在なのだ。

バイクがなければ生きられない人間ばかりが集まった世界で、伊丹が突出した個性を放っているのはなぜか。それを解き明かすカギのひとつとなるのが、彼のレースに対する姿勢だ。

「他人と競い合うこと自体はあまり好きじゃない」

レースとは自分と他人を比較して優劣をつける場でもあるから、こう聞くとちょっとした違和感を覚える。ならば、なぜレースを続けているのか。

「地方戦を走っていた頃からそうだけど、決勝のリザルトよりも、きれいなラップを重ねて自分が納得できる走りをできたときのほうが達成感があるんです」

例えると、サーフィンに近いスタンスなのだろうか。スケート競技ならスピードスケートよりもフィギュアスケートに近い感覚なのだろう。大切なのは他者との比較よりも己の鍛錬という姿勢だ。だからといって決してタイムや順位を軽視している訳ではない。より速いタイムを求めることや順位は、モチベーションになっているはずだ。

そう考えると、伊丹がマン島TTやパイクスピークを選んだ理由の一端が見えてくる。このふたつのレースは、いわゆる「ヨーイドン」の一斉スタートではなく、予選タイムの順番に10秒間隔で一台ずつスタートするレースだからだ。「サイドバイサイド」や「テールトゥノーズ」といった状況が起こりにくい。他者に影響されることなくスロットルを開いてブレーキをかけられる。目標をタイムだけに絞り込み、理想とするレーシングラインをなぞることができるわけだ。また伊丹はこんなことも話していた。

「やりたいことをやり遂げるために必要なことは何かと考え、足りないものを足したり、いらないものを引いたりしていく過程がおもしろい。だからそれを他の人の影響によって崩されるのはイヤなんです」

言い換えればレース中の駆け引きや勝負運など、不確定要素を除外したいのだ。思い描いた理想のレースを完遂させたいのである。他者とバトルするよりも、純粋に実力だけで勝負したいのだろう。麻雀よりも囲碁や将棋といったところか。

しかし、それだけで片づけられるほど、人間という生き物は単純にできてはいない。

「レースは、タラレバがあるからおもしろい」とも言うのだ。

先に言っていることと違うじゃないかと思うことだろう。しかしこういう矛盾をさらっと言ってしまえるのが伊丹のおもしろいところであり、強みでもあるのだ。

持って生まれたものなのかもしれないが、伊丹が由緒ある京都の寺の息子として育ったことや、25歳から26歳にかけての2年間は、比叡山延暦寺にこもって仏僧としての修行を積んでいることが少なからずこの性格に影響しているはずだ。

「何でも受け入れたい。他人の気持ちに応えたいし、でも自分の気持ちにも素直でありたい」

人間とは矛盾と共に生きていくものなのだろう。この世は不確定で不安定だし、学べども学べども全てを知ることはできない。先の見えないことばかりの中でシンプルに考えることの方が難しい。

ならば矛盾は在り続けるものとして捉え、現実とどのように折り合いをつけていくかを考えたほうが物事はうまく運ぶ。諦観とか観念といったらいいだろうか。仏教を通じて人の在り方を見つめ、思考を巡らせてきた伊丹の体験が、矛盾と共に存在している自分を認めているように思える。

その伊丹の心のあり方は、逆境に入り込んだときの辛抱強さにも表れていた。またそこから抜け出すときの切替の早さも常人ではない。

今年のパイクスピークでそうした面を見ることができた。エンジンが予想以上に、薄い酸素の影響を受けてパワーダウンしたのだ。さらに用意した工具が合わず、リアホイールを脱着できないことや、タイヤウォーマーの故障など、連続するトラブルが伊丹のチームを襲った。間違いなく伊丹は焦りを感じていたはずだ。ジャーナリストでもある伊丹にとっては、結果がどうあれ全てを誌面で報告しなければならない。

それは、応援してくれたスポンサーに対しても同様だ。そして何よりも家族に金銭的な負担を掛けてまでこのレースに挑んでいる。伊丹には小学生の娘さんがいるのだ。それらの全てがプレッシャーになっていたことは想像に難くない。伊丹の口数は減っていった。しかし大声で喚くでもなく、イライラした表情を顔に出すこともない。その後、なんとか工具やタイヤウォーマーのトラブルは解決できたが、一番肝心なパワーダウンは修復できなかった。予選走行を終え、残すは決勝レースのみとなったところで伊丹のスイッチが切り替わった。

はっきりと表情に明るさが戻ってきたのだ。予選後に行われたファンフェスタで声援を受けたことで気持ちをリセットできたのか、それとも観念して開き直れたのか。あるがままを受け入れたようだった。

「やれることは全部やった。あとは完走するのみ。レースを楽しもう」そう言うと、伊丹は日本人最速タイムで見事完走を果たしたのである。

実は、伊丹と私は元同僚で、今は互いにフリーランスとしてバイク雑誌に携わっている。会社員として編集者をしていた頃から伊丹の仕事ぶりには、一目置いていたが、独立してからの伊丹は、さらに才能に磨きが掛けられた。43歳にならんとする今も伸びしろがあることには軽く嫉妬させられるくらいだ。

書き手としては、ひとりよがりな表現がなく、リズム感のいい文章に深みとキレが加わったように思う。伊丹自身の思念や哲学ともいうべき嗜好を書くようになったせいだろう。それにライダーとしても以前からライディングフォームがキレイなことが特徴だったが、他のカメラマンからも同様の評価を聞くことが増えた。伊丹を撮り続けている人間としては喜ばしいことだ。

「こういう仕事を続けられてることは恵まれてると思ってます。だから恩返しをしたいという気持ちもあるんです。マン島もパイクスピークも、自分がやってきたことや書いたことに刺激を受けて、後に続く人たちが出てきてくれたらこんな嬉しいことはないですね。とくにそれが若い人だったら、なお嬉しい」

伊丹は2016年までパイクスピークに挑戦したいと考えている。今はそこが自分の居場所だというのだ。しかし個人的には、その先の伊丹孝裕が見てみたいと早くも思いはじめている。

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text:山下 剛/Takeshi Yamashita
1970年生まれ。東京都出身。新聞社写真部アルバイト、編集プロダクションを経てネコ・パブリッシングに入社。BMW BIKES、クラブマン編集部などで経験を積む。2011年マン島TT取材のために会社を辞め、現在はフリーランスライター&カメラマン。

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