1台のクルマと永くつき合う

アヘッド アルファロメオ166

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クルマを生活の道具として考えた場合、整備や修理を繰り返して乗り続けるよりも、そのクルマと適度な時間を過ごした後、価値が下がらないうちに新型車に乗り換えて行く方が賢いように思える。しかしクルマは、家電や携帯電話ではない。機能やスタイルが新しくなったからといって、全てが自分にとって相性の良いものになっているとは限らないし、進化とは何かを失うことでもあるのだ。周りの目や、その時点での損得の数字に惑わされず、これからのクルマとの付き合い方を真剣に考えてみよう。

text:嶋田智之、伊丹孝裕、若林葉子   photo:長谷川徹、山下 剛
[aheadアーカイブス vol.142 2014年9月号]
Chapter
僕のアルファの隠れた魅力
ブリティッシュスポーツに学ぶクルマとの関係性
原点に立ち返ったときに見えてくるもの

僕のアルファの隠れた魅力

●アルファ・ロメオ166は、1998〜2007年に生産されたフラッグシップ。伸びやかな姿態と薄いノーズ、そして絶妙な凹凸が描き出すラインなどから、昨今では最も官能的なスタイルを持つセダンのひとつとマニア間で評される。日本仕様は3.0/2.5リッターのV6エンジンを搭載しており、そのサウンドとフィールは今でも世界的に評価が高い。が、新車当時は人気が高かったとはいえず、販売は不振に終わった。ちなみに著者の個体は2000年式。

text:嶋田智之

ブレーキが鳴く。交差点で停まると信号待ちの女子高生が鞄を落として耳を塞ぐほど、喧しく鳴く。なぜか。中古のレース用ブレーキパッドを組んだからだ。パッドはもちろんディスクも交換推奨期に差し掛かり、といって在庫がその辺に転がってるような車種でもない。パーツの手配を含めた準備が整うまでの暫定措置である。が、効きはいい。ブレンボのシステムにレーシングパッドなのだ。それこそ、つんのめるような勢いで効く。制動力調整もしやすい。不具合はないのだ。激しく鳴くことさえ除けば。

そんなわけで僕のアルファ・ロメオ166は、今、そうそう乗って出る気にはなれないクルマになってしまっている。うーむ……。

僕がアルファ166と暮らし始めて3年目に突入した。こんな筋書きは予定してなかった。好きなクルマだったのは確かだが、同じアルファながら違うスポーツカーを探していたこともあって、半年程度の間に合わせのつもりだったのだ。なのに、いまだに乗り続けてる。その間、運転席側の窓がガゴンと落ち、ワイパーが職務を放棄し、シフトのセレクターレバーのブーツを留めるパーツが欠け落ち、エンジン下部のアンダーカバーが垂れて路面を叩き、リア右の窓が下がったまま力尽き、新しかったバッテリーが充電不能に陥り、オーディオは無口になり、ドライブシャフトブーツが破れ……あと何だっけ?とにかく、そして今回のブレーキ、である。

激安の中古車だったが、維持に要した費用は購入金額を遥かに超えた。でも、乗り続けてる。この先も〝名車〟と呼ばれる誉とはおそらく無縁で、それどころか車齢15歳近くの古い常用輸入車らしくこれから各部がボコボコと逝く可能性だって待ち受けているというのに、まだしばらくは付き合っていくんじゃないか? という予感さえしている。

これまで何度となく別のクルマへの乗り換えを考えて、いいチャンスだって何度か巡ってきたが、僕はなぜこのクルマを手放す気になれなかったのだろう? と軽く悩むこともある。

いや、気に入ってるのは大前提。でも、〝馴染んできた〟ことも大きい。走ったり壊れたり直したりを繰り返してるうちに徐々に〝自分のモノ〟になってきてる気がするのだ。頭で理解できてたことが心で理解できるようになった、みたいな感覚である。そして同じくらい大きいのが、ふとした瞬間に今も〝新しい発見〟があること。もしかしたら、こっちの方が大きいのかも知れない。
166のエンジンは〝名機〟と呼ばれたアルファV6ユニットの末裔で、中回転域ではロロロロロ……と心地好くリズムを刻み、高回転域ではクォーンと澄んだ快音を響かせるオーケストラ・サウンドだ。それを聴きたいがために1段低いギアを選び、高めの回転を保って走る習慣が身についていた。が、2年目が終わろうとする頃のこと。たまたまアイドリングより僅かに上の回転域でクルージングすることになったとき、その領域でゴロゴロと猫が喉を鳴らすような音がするのに気づき、回さずとも意外や粘り強く走ってくれることも知り、今まで何やってたんだろ……? という軽いショックとともに、穏やかな心地好さを覚えたのだった。

以来、アライメントを少し変更して操縦性がどう変わるか試してみたり、オイルの粘度を変えて一番綺麗にエンジンが歌ってくれるのはどれか探ってみたり、と機会を見つけてはあれこれ楽しんでいる。166と僕の相性が良かったのかも知れないが、そのちょっと〝濃い〟付き合い方が「いいね!」と思えるのだ。そうやっていくうちに、僕の166は足に馴染んだブーツみたいな存在になっていくのだろう。そういえば前に8年近く乗ったシトロエンも、確かにそんな感じだったっけ。

誰もが車検や整備でディーラーを訪ねるたびに、お得な乗り換え話をオファーされる。得なことに間違いはないから、話に乗るのも悪くはない。査定が低くなる前に、いろんな車種に乗りたいから、と短いスパンで乗り換えるのもクルマの楽しみ方。否定する気はない。でも、自分に合った1台に巡り逢えたなら、じっくり腰を据えて付き合ってみてはどうだろう? 本当の〝味〟は意外なところに隠れてるかも知れないし、あるいは後からジワッと来るものだったりするかも知れないからだ。ヒトとヒトだって、そうでしょう?
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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

ブリティッシュスポーツに学ぶクルマとの関係性

text:伊丹孝裕

「『ロータス』や『ケータハム』は、自分を飾るためでも、見栄を張るためのものでもなく、あくまでも乗って楽しむための道具だと思います。

私自身、こうしたイギリスのライトウエイトスポーツカーに長く乗り、触れていて強く思うのは、どのクルマも例外なく、性能をフルに引き出して走らせるクルマとして存在しているということです。つまり、すべてが〝気持ちよく走ること〟を目的に構成されていて、人に自慢したり、見せびらかしたりといったアクセサリー的な部分を狙って作られてはいません。純粋に自分だけの世界に入れるからこそ、操る快感を得られ、体にも馴染む。結果、同じ価値を共有する人達との時間も心地よくしてくれる。そういうクルマだと実感しています」

そう語るのはブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーを専門に扱う『ウィザムカーズ』の篠原祐二代表だ。ショップを立ち上げて15年目。現在東京都内にショールームを、埼玉にファクトリーを構え、愛好家達のクルマ趣味を支えている。

そんな篠原さんが初めてイギリス車のステアリングを握ったのは大学を卒業してまだ間もない頃のことだった。最初の愛車としてトヨタのミッドシップスポーツカー、「MR2(AW11)」を手に入れたばかりだったが、「どうせ乗るなら一番おもしろそうなもの」と思い直し、ほどなく『ケータハム・スーパー7』に乗り換えたという。まだ23歳の時のことである。

「72回ローンでしたけど、買ってしまえばなんとかなるだろうし、なんとかしなくちゃいけないですから」

そう当時のことを笑う篠原さんだが、結果的にその『スーパー7』がきっかけになって人生が大きく変わった。変わらないのは、それ以来四半世紀近くに渡って常にブリティッシュスポーツカーが傍らにあるということだ。
篠原さんの場合は趣味が高じて転職。クルマそのものが仕事になり、独立も果たすことになったが、そうでなくとも一度イギリスの世界観に触れた人は長くそこに留まることが多い。その理由を紐解くキーワードはイギリスの文化ともいえる「不変性」ではないだろうか。

そもそも、イギリスはその国民性からして、モノに対する時間のスタンスが密で長い。そこにあるのはファッション的な意味のアンティークではなく、あらゆるモノが親から子、子から孫へと引き継がれ、リアルに歴史を刻んでいることだ。それでいて生活に密着していることにしばしば驚かされる。例えば家、庭、家具、鞄、時計・・・。自分の生活を取り巻くモノとじっくり関わり、長く使うだけでなく、同じ価値観を持つ者へと繋ぐ。そういう継承の文化がイギリスには根づいていると言えるだろう。もちろんそれらは後生大事にしまい込むためではない。道具としての機能を引き出し、徹底して使い込む。壊れれば修理し、ついたキズも歴史として楽しむ。そこにあるのは、時間を積み重ねていくことへの美意識である。

100年、150年という年月を経た家や庭を自身の生活様式に合わせてカスタマイズしながら暮らし、愛でる。そんな話はイギリス国内では珍しくもなんともなく、重ねた時間にこそ価値を見い出すのだ。

モータースポーツの世界にもそれは当てはまり、1907年に始まった「マン島TT」は現存するモータースポーツとしては世界最古というだけでなく、そのコースまでもが当時とほぼ変わらず使われている。またレースの最高峰である二輪世界グランプリ(現モトGP)やF1に関しても、ともにイギリスが初開催の地に選ばれていることなど、歴史的な話題には事欠かず、様々なシーンを語る上で常にイギリスは重要な役割を担ってきた。「シルバーストーン」や「ブランズハッチ」、「ドニントンパーク」といったサーキットの呼称を聞くだけで胸が熱くなり、時代時代の名勝負とともに特別な感慨を抱くモータースポーツファンも多いに違いない。

当然、そうした国で生まれ育ったクルマもまたイギリスの文化そのものだ。こと不変性という点においては、『ロータス』や『ケータハム』に代表されるバックヤードビルダー(個人規模のメーカー)がその最たる例だろう。こうしたクルマに共通しているのは、小さく、軽く、シンプルなこと。無論、様々な変遷があり、異なる成り立ちのモデルもあるが、他のクルマと比べるまでもなく、いつの時代も絶対的にライトウェイトであり、余計な装備が付いておらず、実用性や快適性がやや、もしくは完全に抜け落ちている点でも変わりがない。要するにひたすら「走る」ことだけを考えて設計された潔さがそこにあるからこそ魅了されるのだ。
そういう意味ではストイックなクルマ達とも言える。サーキットを走るブリティッシュスポーツカーの姿は総じて凛々しく映る。しかし、それらが高い評価を得るのはただひたすらコンマ1秒を削り取っていくことを目的にした冷徹な「マシン」だからではない。物理の壁をも越えられそうな最新の電子デバイスとは無縁で、高価なハイテク素材を纏っているわけでも、格別凝った設計が込められているわけでもない。あるのは徹底した正攻法のみ。コンパクトさと軽量化を突き詰めていく愚直な追求心だ。何かを付け足して力技で車体を曲げていくのではなく、不必要な部分を探し出して引くことで、しなやかに旋回する。現代のクルマ作り方の主流とは真逆の「マイナスの美学」なのである。そこには見栄や虚飾の入る余地はなく、他のなにかと比べるという卑屈さも覚えなくて済む。ただひたすら加速、減速、旋回の心地よさを抽出して固めたカタチがブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーなのだ。

要するに素材としてのクルマであり、手にした後は乗り手次第ということだ。主役はクルマではなく、それを委ねられたドライバーにある。だからこそ自分好みに仕立てる余地があり、じっくりと関わることができるというわけだ。そして自分の役割が終われば、次の世代がリペアし、レストアしながら引き継いでいく。さしづめガーデニングに近く、肩肘張らずにそれぞれのペースで楽しめる、そのスタンスこそが長く愛される理由ではないだろうか。

「もちろんドイツ車にはドイツ車の、イタリア車にはイタリア車の良さがあります。例えばポルシェの強固さやアルファロメオの流麗さなどは、ケータハムにもロータスにもない魅力であり、ある種の華やかさもあります。その一方で、こうしたバックヤードビルダー的なクルマを愛する人達はみんなが同じ目線の高さで同じ方向を向いているというか、ヒエラルキーが微塵も感じられないのがいいところでしょうね。いい意味で庶民的。とはいえ、マイノリティでもありますからそこへ飛び込むには不安があることもよく分かります。

そのためユーザー同志を繋ぎ、楽しんで頂ける場を提供するのが我々のようなショップの役割だと思います。そこで出来上がる強いリレーションや、一緒に趣味を育てていく仲間意識がイギリスのクルマならではの魅力ではないでしょうか」と篠原さんは語る。

ブリティッシュスポーツカーは人と人とを密に繋ぎ、人生を豊かにしてくれるモノ。そのプリミティブさが、時になによりも贅沢な時間をもたらしてくれるのだ。
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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

原点に立ち返ったときに見えてくるもの

text:若林葉子

あるときオートバイ雑誌の取材で、ヨシムラがチューンしたSRXの試乗が行われた。当時、開発の中心メンバーだった浅川邦夫さんは、仕上がりに自信があった。しかし試乗を終えたジャーナリストから、「これ、ホントに売るんですか。 危ないですよ」と言われたのだ。すぐにその場にいた別のヨシムラの社員にも試乗してもらったが、やっぱり怖くて乗れないと言う。

「めちゃくちゃショックだったよ。つまり、飛ばしていくといいんだよ。サーキットレンジのスピードを出したときにイイ、そういうオートバイばかり作ってたんだよね」

ラップタイムを意識したチューニングを追究してきたけれど、それは多くの人が求めるものではなかった。それに、仕事と銘打てば、会社にある開発用のオートバイに自由に乗れる。そんな恵まれた環境の中で見失ったものがあるのではないだろうか。自分でお金を払ってオートバイを手に入れ、日常生活の中でオートバイを愉しむ。そういう付き合い方のほうが、本当の意味でオートバイの有り難みが感じられて、その1台とじっくり向き合っていけるはず。今の自分は、ちゃんとライダーをやっていないのかもしれない。そのとき浅川さんは、オートバイに乗り始めた頃の自分に戻ろうと決意したのだった。
 
「オートバイに乗るということはさ、すごくいいことだと最近改めて思うんだよね。今の時代はテクノロジーが進んで何でもコンピューターがやってくれる。人間が入り込む隙がどんどん無くなってきてる。でもオートバイはさ、最新型だ、電子制御だって言っても、人が乗らないと倒れてしまうというのは変わらない。その意味で原始的。だから常に本質的なことを問われるんだ」

オートバイは倒れる。人が乗っていてもバランスを崩せば倒れる。だから、バランスを取るということがオートバイの基本の基本だ。それは何も、倒れる倒れないだけの話ではない。浅川さんが'72年型のトライアンフでアメリカのデイトナに挑戦した際にこんな主旨のことを言っている。

「このトラをいじるとき、ある一カ所だけ精度を出すようなやり方をしないようにした。一カ所だけ100分の1ミリの精度を出したら、全ての部品もそうしなければならない。でも、それは不可能。だから、できるだけ精度を出すのだけど、全体のバランスを見てそこそこにする。このあたりが勘どころ」

オートバイの整備やセッティングにおいてもいかにバランスが大事かということであるが、最後はその人自身の勘が問われるのであって、勘というのは他の誰でもない自分自身の経験の蓄積からしか生まれてはこない。

乗り手の体格や体重、技量が大きく影響する乗り物でもあるから、乗り手自身が積極的に関わらない限り、その人にとってのいいバイク、乗りやすいバイクに近づけるのは難しいとも言える。

「ちまたで言われていることや、本に書いてあることは嘘ばっかりと思った方がいい。体全体の力を抜いて、体の〝軸〟を意識し、両手を放してもまっすぐに進むのがいいオートバイの基本だと僕は考えてるんだ。整備やセッティングはそこを目指している。だから乗って、整備する。そのことに意味があるんだよ」

飛ばすだけがオートバイの楽しさではない。例えば、毎日通る家の前のカーブを走るだけでも、うまく行った日はうれしい。うまく行かない時はなぜだろうと考える。ちょっとしたことに気付いて改善し、うまく行けば悦びに変わる。

整備は自分でできなければ専門店に託してもいい。でも、洗車くらいは自分でできるはず。汚れたままで持ち込めば、この人にとってオートバイはその程度と思われても仕方ない。きれいに洗車したオートバイは、他人の手に託しても大事にされる。当たり前のことだ。

浅川さんは、前述のように、オートバイの乗り方を通して、バランスを取るための〝軸〟の大切さが分かってからは、普段の生活の中でも常に体の〝軸〟を意識しているという。

たかがオートバイ。でも1台のオートバイと長く真剣に付き合うと、それは単なる趣味を超えて、自分の考え方や生活にまで変化をもたらし、人生の一部になる。そのことを、浅川さんは教えてくれている。
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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
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