21世紀少年はドライブにいく夢を見るか? 小沢コージvs神尾成

21世紀少年はドライブにいく夢を見るか? 小沢コージvs神尾成

アヘッド 21世紀少年

デジタル=野生の勘が求められる時代

―2015年から、 2016年へ。今の時代は二人にどう映っているのでしょうか。


神尾
 落とし穴だらけの中で生活していることを自覚する必要が出てきたなと感じている。例えば、携帯電話のアプリなんかにしても、曖昧なモノを売る時代になっているように思う。その商品が未完成でも、問題が出たら後でアップデートすればイイ、というようなことが横行しているのは冷静に考えればおかしいでしょう。

インターネットについても使い方によっては、大きなマイナスに導く力を持っているし。アナログな時代は全体が想像ができてゴールの予測がついたけれど、デジタルはどこに飛び火するか予想できない。

自分自身で瞬間的に判断しなければ、どんなことに巻き込まれるか分からない時代になってしまった。常に猛スピードで獣道を走っているようなもの。そういう意味で、デジタル=野生の勘が求められる時代になったと言えるんじゃないかな。

小沢 リスクは確実に増えましたよね。見る必要もないものや知らなくても良かったことを、インターネットを通じて知ってしまうことによって、予想外の感情や危険が生まれているような気がする。

神尾 最近よく言われてるけど、フェイスブックで他人の幸福を見て、コンプレックスを抱えてしまう人は多いだろうね。アップされていることが、その人の生活の一部でしかないと分かっていても、いざ見てしまうと自分と比べてしまって気になるものだから。

小沢 みんな人の幸せを見過ぎてストレスになってるんですよ。自分もフェイスブックやってるけど、なるべくゴージャスな海外出張とかそういうのはアップしないようにしてます。それも仕事のウチなので線引きは非常に難しいけど、結局は人の金で行ってるわけだし。僕らの仕事は憧れを持たれてナンボってところもあるので戦略は人それぞれだと思いますが。

神尾 そういうところが小沢コージ的な発想だね。恥という概念を意識している。通貨が発達して、社会の中で分担ができて、俺は八百屋だ私は魚屋だって人にはそれぞれの役割ができたわけだけど、その基準で言うと自分は「余暇屋」だと思っている。

社会で働いている人たちの余暇を、少しでも豊かにするために働くことが自分たちの役割だと。そういうふうに考えると何を発信することがイイことなのか、余暇屋としてそれは正しいことなのかといつも自問してしまう。

余暇の時間をクルマやバイクによって充実させたいと思っているひと達の演出係として働いて、はじめて存在が許される立場でしかないから。小沢コージは世間で目立ちたがり屋だと言われているけど、そういうところをわきまえているからファンが多いんだ。

小沢 褒められるとかゆいですけど、俺もそれなりに売名行為はしてますよ。やはり人として目立ってこそ読まれる文章もあると思うので。ただ、タレントじゃないんだから中身で喜んでもらいたいっていうのが理想かな。

神尾 その根っこの違いは大きい。先のデジタルの話もそうだけど、客観的になってシンプルに考えると、そのモノの間違いが見えてくるよ。

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