おしゃべりなクルマたち Vol.49 バイク乗り礼賛

アヘッド vol.49 バイク乗り礼賛

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就職活動をしているときは回りの若者がみんな職探しをしているように思えたし、自分が妊娠中のときは妊婦ばかりが目についた。

text:松本葉 イラスト:武政諒 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
Chapter
Vol.49 バイク乗り礼賛

Vol.49 バイク乗り礼賛

母が亡くなり父がひとりになったときはこの世にはこんなにやもめがいたのかと感心し、さてダンナがバイクに乗るようになった今はライダーの数の多さに驚いている。

心理学を専攻した友人にこの話をしたら、それは自分の身に起きなければ物事が理解できない幼児性の現れですと一蹴された。自己中心的でわがままとも言えるそうで、「でもやっぱりライダーって増えていると思う」としつこく続けて呆れられた。「バイクが自分の生活に侵入したことによってようやくライダーに目が向いた、それだけのこと」、だそうである。

でもやっぱりライダーって増えていると私は思っている。なによりライダーがたいへん礼儀正しいことに感心している。私は当地のドライバーは行儀が悪いといつも怒っているのだが、最近では怒るだけでなく、同じドライバーならライダーを見習ってはどうですかと言っている、ココロのなかで。当地のライダーは道を譲ると足を水平に上げて挨拶する。

これが彼らの「ありがとう」だ。私は四輪ドライバーに道を譲ってありがとうと手を上げてもらったことはほとんどない。どういたしましてのつもりで手を上げ返す(ニホンで学んだ)習慣が体に染み付いているから、いつもひとりで手を上げる羽目になる。「道を譲ってお礼を言うドライバーはここではあなただけ」、息子に嫌みを言われる始末。

ヨーロッパでは足を踏まれても謝るのがニホン人と言われているが、しかしこれでいけば当地のライダーはニホンチームに属すると私は確信している。もちろん足を踏まれて謝ることはないが(私だって謝らないが、つい〝大したことありません〟と先に言ってしまう)、礼儀正しく、控えめで、そして連帯意識が強い。ライダー同士がすれ違うと必ず彼らは合図を交わす。

ちらっと手を上げるだけだけれど、それは彼らの「こんにちは」であり、「やっ」であり、「暑いですね」でもあり「気をつけて」でもあるのだ。チームと連帯を苦手とし、友情に懐疑的で愛想を偽善とするウチのダンナが、ライダーとすれ違ってすんなり手を上げるのを見たときは笑ってしまった。本人いわく「バイクに乗っているとこういう気持ちになるのだ」そうで、真面目な顔でこう言われ、私の方が戸惑った。

バイクというのは楽しい乗り物だが同時に孤独な乗り物で、生を実感するが死を身近に感じさせる乗り物。バレンティノ・ロッシの言葉だが、だからライダーは大人で人間的で爽やかなのか。こんなわけで最近、私は、(ヒトの足を踏んではそこに足を出していたアンタが悪い)という息子に、まずはバイクに乗ってはどうですかとすすめている。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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