忘れられないこの1台 vol.41 YAMAHA XT250T

vol.41 YAMAHA XT250T

アヘッド YAMAHA XT250T

▶︎ヤマハ初の4ストローク250トレールXT250の後継機種として1983年に発売。空冷DOHCエンジンにツインキャブレターのY.D.I.S.システムを採用、リアにモノクロスサスペンションを採用し、本格的なオフロード走行から長距離ツーリングまでこなすオールラウンダーとして人気を呼んだ。1985年にフロントにディスクブレーキを採用したマイナーチェンジモデルが登場する。


空冷4ストDOHCエンジン、モノクロスサスペンション、アルミリム、「レースで活躍するファクトリーマシンと同じ技術が、このバイクにも注ぎ込まれている」、ぼくは雑誌の文句を額面通りに受け取って、まさしくその気分で街を田舎道を、そして山道を駆け巡った。

バイクは、少年にとって自分の世界を押し拡げてくれる夢のマシーンだった。鉄のガソリンタンクを満タンにするとその重さ冷たさが頼もしく、どこまでも走っていけるような気持ちになったものだ。

当時のヒーローは、パリダカのファクトリーライダーだった。一台のバイクとともに、どこまでも続く砂漠の海を疾走していく。テレビ中継を見て、雑誌のグラビアを見て、自分の姿を重ねていた。いつのことになるだろう、5年先かもしれないし、10年先かもしれないけど、XT250Tとともに、あの砂漠のラリーに行くのだと思っていた。

その時にはきっと、このDOHCエンジンが威力を発揮するに違いない。でも待てよファクトリーチームじゃなかったら、スペアのエンジンがないから、壊さないようにしなくちゃならないな。そうだタイヤもたくさんは持っていけない。

でも、ぼくは減ったタイヤでもみんなより上手く走れるからきっと大丈夫だ。ユベール・オリオール、シリル・ヌブー、それに風間深志や菅原義正といった当時のヒーローのなかに、幻影の自分もいた。

アヘッド YAMAHA XT250T

今になって思えば、もし数年後にその少年がなにかのチャンスに巡り合ってパリダカに行くようなことがあったら、バイクもきっと違うものになっているはずなのだが、そうは思っていなかった。このXT250Tで走るのだ。少年の空想とはそういうものだ。

とにかく走り回った。仕事があったから遠くには行けなかったが、日曜日の休みに行ける限り遠くまで走った。相棒のXT250Tとともに、いつか行くだろう砂漠に向かってスロットルを開け続けた。

数年が経ち、地元のエンデューロ競技会に出場するようになった。バイクも欧州製の本格的なエンデューロマシンに乗り換え、XT250Tは知人に譲り渡された。いろいろな夢や思い出も同時にぼくのそばから離れていった。

さらに時間が過ぎて、ぼくは、今度は本当に砂漠の海を一台のバイクと一緒に走っていた。パリダカではなかったが、それはあの頃XT250Tとともに夢に見た砂の海に違いなかった。

やはりあのバイクはぼくの世界を押し拡げてくれる夢のマシーンだったのだ。

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text:春木久史/Hisashi Haruki
1966年生 北海道在住 ビッグタンクマガジン編集長、frmシニアエディター。自らラリー、エンデューロに出場しながら各誌にレポートを寄稿。戦績: 2006年ISDEニュージーランド大会ブロンズメダル、2001年ラリーモンゴリア総合3位、2006年北京〜ウランバートルラリー市販車部門優勝、2007年ファラオラリー完走ほか。現在の愛車はKTM690ENDURO-R、Husqvarna TE449、KTM250SXF

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