おしゃべりなクルマたち Vol.48 ピニンファリーナの光と影

Vol.48 ピニンファリーナの光と影

アヘッド vol.48 ピニンファリーナの光と影

イタリア経団連の会長をつとめ、この国の経済界に大きな力を持ち、その後、終身議員に任命されたセルジオの人生は、鉛筆1本でクルマを描いた父の時代からは想像も出来ないほど、ダイナミックなものだった。しかし、同時に息子の最期を父は想像できなかったと思う。

巨大化した自動車産業に押しつぶされるように、'90年代、カロッツェリアは衰退の道を歩みはじめた。自動車メーカーが独自性となにより生産効率を求めて自社内のスタジオでデザインを手掛けるようになったことで仕事が減ったためだった。

カロッツェリアは生き残りをかけてメーカーの、たとえばカブリオレのようなニッチマーケットの生産に乗り出す。数は小規模でもクルマ作りには近代的なシステムと大きな工場が必要だ。

この設備投資と規模拡大がやがてカロッツェリアを苦しめるようになる。ピニンファリーナの経営が一族の手を離れたのは 数年前のこと。バッティスタが息子に期待したように、セルジオが大きな期待を寄せた長男、アンドレアが交通事故で亡くなった直後のことだった。あの日以来、セルジオは公の場から姿を消していた。

私が最後に彼と会ったのは'90年代の終わりのことで、自動車雑誌主宰のファンの集いに招かれて来日したセルジオと2日間、一緒に過ごした。クルマのすべてが体に染み付いているヒトだったが、それは先天的なものというより、後天的なもの、そんな印象で、彼自身、父の教えが私のすべてを作ったと言ってはばからなかった。

ファンが作った『デイトナ』のプラモデルを差し出されるとお礼を言うのも忘れて満面の笑顔でさっさと胸に抱え込んだが、実際のところ、〝ひとりのセルジオ〟を見たのはこの一瞬だけだったように思う。クルマにまつわるさまざまな話をしたが、どんなときにも父を抜きにして語ることはなかった。

老舗カロッツェリアの誇りが服を着、靴をはき、歩いている、そんなふうだったが、それは非凡な才能を持つ父を誇りにするとともに、その父の名を普遍的なものにした息子としての誇りでもあるようだった。

もちろん自動車の未来を短絡的に考えるようなヒトではなかったが、それでも悲観的なところは見られなかった。未来について疑いを持つにはあまりに〝自動車のいい時代〟を生きた、のではなかったか。

こうしてまたひとり、クルマのいい時代を知るヒトが亡くなった。いい時代を生きる、いやつくる気持ちとはどんなものだったのか。それを聞かなかったことが残念でならない。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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