Rolling 40's vol.95 リターンライダー

Rolling

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4月生まれの私は高校生になってすぐにバイクの免許を取ると、通学から2人乗り遊び、走り屋の真似事などと、毎日どこに向かうでもなく走りまわっていた。

text:大鶴義丹  [aheadアーカイブス vol.165 2016年8月号]
Chapter
vol.95 リターンライダー

vol.95 リターンライダー

今思い返すと、どこか目的地に向かうということや、バイクを活用して何かするということではなく、バイクに乗るということが最大の意味だったのではないかと思う。アクセルをひねった瞬間に身体を突き抜けていく加速感に、親や学校という小さな縛りからの仮想脱出をしていたのだろう。

18歳になって四輪免許を取り、同じように意味もなく走りまわりだしたとき、私はバイクと四輪の決定的な違いは同乗者という存在だと気が付いた。

その年頃だ、仲良し男女4人で海などにクルマで遊びに行くことも多々あった。オリジナルの選曲編集をしたカセットテープを、仲間がご丁寧に持ってきてくれることもあった。誰もが1つや2つは持っているキラキラした10代の思い出だ。

その勢いでクルマの改造などにハマりだし、ある時期バイクから離れてしまったこともあった。クルマの楽しみというのは所有感や性能などは当然ながら、一番は車内というコミュニケーション空間であると思う。そこがバイクとは絶対的に違う部分である。

四輪というのは、果てはリムジンから超絶性能のスポーツカーまで、車内という空間に他者の存在が関わってくる。極端な言い方をすると動く「社会」である。

しかしバイクは、昨今ではビーコムのようなタンデム時におけるヘルメット内通話器機の進歩は著しいものの、基本的には自分とバイクの存在が主たるものとなる。またそういう意識で乗らないと危険であるとも言えるだろう。「社会」ではなく「個の意識」が走っているということだ。

多くの若者が20代の頃にバイクから四輪にシフトしていくのは、それが理由だと思う。10代よりも、社会や他の集団とより深く関わりだす年齢になり、仲間同士や色々な集団で、何かを計画実行するようなことに喜びを見つけていく。そういう時期に、コミュニケーションツールでもある四輪に利用価値を見出していくのは避けられないことだろう。

しかし不思議なもので我ら男子に限っての推論だが、40代頃からそのバランスが崩れてくる。40代まで社会構造に関わると、その安定感を再び壊したくなるのだ。

それが事故率の高さなども問題になっている「リターンライダー」というやつである。その良し悪しは我々男子個々が自由に決めれば良いので割愛するが、再び加速感とともに何かから逃げ出したくなる気持ちは同志として理解はできる。ただ私などはバイクに乗りだしてから30年以上が経つのに、未だに1日の4分の1はバイクの事ばかり考えているので、高校生のときから今までずっと何かから逃げ出しつづけているのかもしれない。

少し前に知人夫婦から相談を受けた。夏になって開放的になったのか、旦那が大きくスピードの出るバイクを買うと言い出したので、バイクの仕事もしている私に、旦那の無謀をたしなめてほしいと言うのだ。

私はその奥さんに、最も相談してはいけない相手に相談しているということを告げたのだが、彼女曰く、そういうレベルの人間の言葉にこそ、馬鹿なロマンをいさめる力があると思うとのことであった。

多少酒を飲んでいたこともあり壮言大語になってしまったが、奥さんと旦那さんそれぞれにこう伝えた。

「離婚してでも乗せない」
「離婚してでも乗る」

中年が今更に大きなバイクに乗るということは、フットサルやトライアスロンを始めるのとは全く違う次元のことであり、簡単にロマンだけで片づけてはいけない。しかし同時に人生の中にバイクがあるということは、この世の中で何番目かに楽しいことであり、それを隠すつもりもないと伝えた。

一週間してその旦那から電話が来た。やはりバイクに乗るのはやめることにしたと言う。私は奥さんと離婚してまで乗る必要はないので賢明な選択であると伝えた。何を犠牲にしても乗りたくなったならば、その時に乗ればよいと言った。

私は「リターンライダー」という言葉はあまり好きじゃない。おそらくバイクに乗ったこともないような、またはバイクのことを何も知らないような輩が作った言葉だと思っている。

「バイクの楽しみを再び思い出した…」

それは絶対に良い表現ではない。ライダーの気持ちというのは、どこか遠くから戻ってきたり、思い出したりするものではない。実はずっと奥底でくすぶっていたのだ。寝ずに仕事に打ち込んでいた時期も、イクメンをしていた時期も、住宅ローンを組む勇気を持った時も、いつも道でバイクが通り過ぎるたびに心の奥でアクセルをひねっていたのだ。

戻って来たのではなく押し殺していただけなのだ。抑圧され続けた心の噴火である。革命、大変革、激変、の意味から考えると。 「リボリューションライダー」などという言葉が浮かんだが、やはり小恥ずかしいから地味に「リターンライダー」のままで良しとした。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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