忘れられないこの1台 vol.38

忘れられないこの1台 vol.38

アヘッド 忘れられないこの1台 vol.38

毎朝2時半におきて新聞配達するも、価格高騰していたフェックスを買うことは出来ず。今思えば「なぜ?」という選択肢で、結局、僕は初期型のRZ250を買った。2サイクルも4サイクルもよく知らなかった。でも、フェックスと年代が同じこととか、パイプフレームやアップハンなどの共通項を言い訳(?) にして、半分妥協をして買ったのだ。

「さあ、街を流すぞ~」てな僕のココロに反して、このマシンはやけにピーキーで神経質さを持ったマシンだった。ポンポンシフトアップして、低回転でのんびり走りたい僕の希望をかなえるどころか、回せ! 回せ! と、乗るたびに悪魔の誘いをささやく。

実際、そうしないとプラグがかぶり、調子が悪くなる。しかも、低回転ではアクセルを全開にしたところで、モゥ~といって、なかなか加速してくれない。そのまま我慢して回していくと、ある回転域から急にパワーが立ち上がる。フロントがフワッと軽くなって、髪の毛がギャッ!と逆立つ感じ。なんだか想像していたバイクライフと大分違う。でも、なぜかものすごく楽しい…。

直線の続く赤信号では、レーススタートのごとく必ず全開。3速、4速まで入れてバックミラーを見ると真っ白な煙の世界が広がっていて、それも僕の心を満たす大切な要素だった。

そう。このRZを選択したせいで、ツーリングライダーを夢見ていた青年は、いつのまにか、スピード狂に変身させられていた。中学時代の暴走族寄りの友達と遊ぶより、高校の走り屋(風の)友達と一緒に走る機会のほうが多くなった。

パワーバンドを維持して走れば、すでに10年落ちだったそのマシンでも彼らに十分付いていける、いやいや、置き去りにすることすらできたのだ。
そんな中で、自分の技量を勘違いした青年は、間もなくレーシングライダーを目指すこととなり、アメリカに行ったりもしながら、いまだにレースを続けたりして、バイクに取り憑かれている。

あの時。もしも僕がフェックスを買えていたならば…。
望みが叶うことが幸せにつながるかどうかなんて、誰にもわからない。RZを選択せざるを得なかった僕のバイクとの関係は、あの時も今も最高に良好だ。

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text:鈴木大五郎/Daigoro Suzuki
1974年 宮城県生まれ16歳で普通にバイクに乗り始めるが、本文にあるとおり、スピードに目覚めてレース活動を開始。AMAスーパーバイク、全日本選手権、鈴鹿8耐などに参戦。1999年より、モーターサイクルジャーナリストとしても活動している。

アヘッド 忘れられないこの1台 vol.38

●ヤマハ RZ250
水冷並列2ストロークエンジンを搭載して1980年に発売。軽量、ハイパワーはレースシーンでも活躍。
後継のRZ-R、TZRと、絶対性能は高まるが、流麗なスタイリングとピーキーなエンジン特性でいまだに人気が高い。



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