おしゃべりなクルマたち vol.45 生きられなかった人生

vol.45 生きられなかった人生

アヘッド vol.45 生きられなかった人生

舅の名前がフェラーリと同じエンツォと聞いて、私は彼と知り合う前、太い声を持つ、引き寄せた女が沈みこむ、そんな広い胸の伊達男を想像していた。会ってみれば舅は小さな、胸板の薄い、甲高い声を持つちょこまかした男でたいそうがっかりしたものだったが、それでも時々、(その姿とは似ても似つかぬ)洒落たことを言うヒトだった。

はじめて〝心弾む3つのもの〟を聞いたときも、いいこと言うなあと感心したが、私が褒めると「この先、何度でも聞けるわよ」、姑がこう皮肉った。確かに知り合って25年、何度、この台詞を耳にしたことか。

そういえば一度、舅に心弾む3つの中でひとつ、与えられるとしたら何が欲しいか、と尋ねたことがある。深い意味があって聞いたことではなかった。一緒にさやいんげんの筋をとりながら、私は彼によく、こういう質問をした。たわいもない質問に真面目に答える彼が好きだった。筋をすーっととりながら、その時、彼が言った。「ドゥカティが欲しいな」。

フェラーリと同じエミリア・ロマーニャ地方で生まれたドゥカティ。体にエンジンオイルが流れると言われるこの地方の男が作り出したバイク、高性能とスタイリッシュなデザインから〝バイクのフェラーリ〟と呼ばれることも多いが、舅に言わせるとフェラーリこそ、〝四輪のドゥカティ〟ということになる。「フェラーリは財力さえあれば乗れる、ようになってしまった。ドゥカティを操るには体力と腕とセンスがいるのだ」、こう言って笑い、そして小さな声を出した。「ドゥカティに乗れる男になりたかったな」。

自分の力の限界を知り、そのなかで満足することを幸せとする、それが舅の生き方であった。息子たちに化石とあだ名されたリトモで妻を連れて故郷に帰ることを最上の楽しみにした。そんな彼が「ドゥカティに乗れる男になりたかった」と言ったことで私は胸を突かれた。ヒトは誰でもそうであるように、彼にもまた生きられなかった人生やなれなかった自分に未練があるのだ。

それでも、八十をたっぷり過ぎた人間に 〝今からでも〟、そんなきれいごとは言えない。〝心にもないこと〟をもっとも嫌う、それが舅であった。黙る私に向かって彼が言う。「ドゥカティに乗ることが出来なかった私を慰めるのはこの世にドゥカティのような素敵なバイクがあるということなのだ。その名を口にするだけで心が弾む」。街でドゥカティを見掛けるといつもこの日の彼を思い出す。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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