F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 政治利用されたバーレーンGP

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2012年2月の終わり頃から、メディアは打倒政府を訴えるバーレーン市民の過激なデモ活動を繰り返し報道した。メディアは刺激的な映像や画像を意図して抽出する傾向がある。程度は割り引いて理解する必要はあるが、「バーレーンが正常ではない」ことは確かだった。

text:世良耕太 [aheadアーカイブス vol.115 2012年6月号]
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政治利用されたバーレーンGP

政治利用されたバーレーンGP

その1年前の2011年2月、国民の7割を占めるシーア派が、政治の実権を握るスンニ派に反旗を翻したのが事の発端。「アラブの春」と呼ばれる、チュニジアに始まりエジプトに伝播した民主化運動が飛び火した格好だ。バーレーンは開かれた政治を行っていたはずだが、抑圧に苦しんでいた民衆が多くいたということだ。当初、バーレーンGPは3月中旬に開催が予定されていたが、デモの激化を受けてひとまず延期が発表された。

3月に発令された非常事態宣言は6月に解除された。これを受けてバーレーンGPは10月に開催することが決まるが、種々の調整がまとまらず結局は中止になった。夏の終わりには翌年の開催カレンダーが発表され、4月22日の第4戦にバーレーンGPが組み込まれた。その頃にはバーレーンに平穏が訪れているだろうという読みだった。

ところが、暴力をともなった抗議活動が進行中であるという、バーレーンが置かれた状況は少しも変わっていなかった。にもかかわらず、チームもドライバーも表だって開催に反対せず、「FIAが決めること」だとしてF1世界選手権の統括団体に判断をゆだねた。そのFIAは第3戦中国GP開催中の4月13日に、「F1を開催するためのすべての適切な安全対策がとられている」として、バーレーンGPの(強行)開催を決定した。

F1という、いわばサーカスの一団をバーレーンに呼び込んだのは、政治の実権を握るスンニ派の流れに連なる組織である。中東というと豊かな石油産油国だとしてひとくくりにしてしまいがちだが、バーレーンは石油が枯渇傾向にあり、新たな外貨獲得手段として観光に力を入れ始めた。そのPRのため、2004年にF1を呼び込んだのである。F1誘致とタイミングを合わせ、首都マナーマには高級リゾートが形成された。

というのは建前で、バーレーンという王国の君主が、自らの権力を内外に誇示するために、自分ちの庭にF1というサーカスの一団を呼び込んだと理解するのが正解なのかもしれない。そこに庶民の感情は介在しない。サーカスの団長は興行するかわりに少なくない見返りを王から受け取る。サーカスの一員たるチームに不平を漏らす権利は与えられているけれども、団長の意思に逆らうときは、分け前を放棄したり、所属する社会から出て行ったりといった相応の覚悟が必要である。

政情不安に揺れるバーレーンでのF1開催強行は、見えない力がチームを縛り付けていることを象徴する出来事だった。体制派のお先棒を担ぐことになるのを承知で火中に飛び込んでいったのだから、チームを縛り付ける無言の圧力の強さは推して知るべしである。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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