埋もれちゃいけない名車たち vol.37 再認識されるべき 救世主「アストンマーティン・DB7」

アヘッド アストンマーティン・DB7

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〝夢〟や〝憧れ〟という言葉とともに語られるブランドのクルマ達には歴史の中に埋もれてしまいそうなモノなど存在しない──と無意識に思われがちな側面があるのは確かだ。もちろんそのブランドのマニア達の間では、何ひとつ埋もれたりすることはない。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.153 2015年8月号]
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vol.37 再認識されるべき 救世主「アストンマーティン・DB7」

vol.37 再認識されるべき 救世主「アストンマーティン・DB7」

けれど一般的にはどうかと言えば、不遇としかいいようのない扱いを受けているモデルというのが、どのブランドにも間違いなくある。素晴らしく華やかなことで知られるスーパーカーの代表的ブランド、フェラーリにもあるし、ランボルギーニにだってある。

そして巻頭特集にも登場しているが、格式からいうならそれらよりも遙か高位にあり、品のあるクルマ作りを貫き続けているアストンマーティンあたりは、悪目立ちしない奥ゆかしさがある分、なおさら……と言えるようなところがあるかも知れない。

今なら、さしずめDB7のシリーズがそれにあたるだろう。

アストンマーティンは過去、何度も深刻な経営危機に見舞われてきた。ところが1987年にフォードが経営に参画し、1993年にDB7が誕生して以来、アストンマーティンの経営が苦しくなったことはない。DB7を基に発展してきたと言える現在のモデル達も、世界中で愛され、憧れの対象とされている。DB7は救世主だったのだ。

なのに正当な評価ができない半端な似非原理主義者というのが存在していて、同じフォードの傘下にあったジャガーのシャシーを基に開発がスタートし、エンジンもジャガーのストレート6にスーパーチャージャーを装着することからスタートし、後のV12もフォードのV6を継ぎ足したことからスタートし……という辺りが気に入らないらしい。

そういう作り方がなされたクルマは幾らだってあるし、今なんてほとんどがそうだというのに。しかも結果として生まれたクルマは世界観もテイストもアストンマーティン以外の何者でもないというのに。何よりDB7が失敗作だったならアストンマーティンは終焉を迎えていた、ということ忘れているのだろう。

けれど、そうした事実がないがしろにされてる今だからこそ、DB7は安い。デビュー当時は1800万円からスタートという高額なクルマだったというのに、今や300万円を下回っている個体すら見受けられる。

DB7以前の1980年代辺りのモデルも以前は同様だったが、今では軽く3倍以上に跳ね上がっていて、DB7も本来の価値が再認識される可能性もある。今が底値といえる状況にあるのだ。

もちろん新しい個体でも生産から10年以上が経過してるから買った金額で総てOKとはいかないだろうが、アストンマーティンを〝憧れ〟だけで終わらせない最も現実的な選択があるという事実には、間違いも曇りもないのだ。

アストンマーティン・DB7

DB7は1993年にデビューした、現代のアストンマーティンのラインアップの礎となったモデルといえる。経営難に見舞われたアストンマーティンを傘下に収めたフォードが、同じく傘下にあったジャガーのコンポーネンツを最大限利用して開発をスタートさせた。

それまでのモデルとは一線を画する麗しいクーペ・スタイルに上品で豪奢なインテリア。直6スーパーチャージャー3.2リッターの330ps、V12自然吸気5.9リッターの420ps。世界観も動力性能も、特有といえる唯一無二のもの。販売面でも成功を収めた成功作なのである。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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